楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

胃薬はいじらしい

西武球場は世界の玄関 - 楡男の日にした検査の結果を聞きに病院に行かなきゃいけなくて、この日記を書いた1週間後に行こうとしたんだけど、シャワー浴びて外出の準備したところでネット受付しようと思ったら人数がいっぱいで受付終了になってしまっていたので、もう1週間潜伏して行ってきました。ネット受付したとき7人待ちだったので早歩きで行けば間に合うわと思って荷物整理して着替えて出てきたら次の瞬間には2人待ちになってて、は⁉️ となりながら早歩きして行った。予定に間に合うように朝起きること、家を出るべき時刻をはっきり認識すること、それに向けて余計な動き(たとえばアマゾンで気になる本を調べるとか)を控えることが、どれもできない。

病院に来たら即呼ばれて、医者の説明を聞いて(ガンの4段階前みたいなことを言われてそこだけ目が覚めた)、採尿して、そのあとまたすぐ呼ばれて会計して放り出された。放り出されたのは私の主観であって、そのあとの予定を何も決めていない状態で病院の外に出たというだけだ。

無理をしないとできない早歩きを行きでしたために足は動かなくなっていて、杖をついて歩く老人のように歩幅は小さくなった。すごくイライラしやすくなっている。そんな自分が嫌になるぐらい、脆弱になっている。顔にお面が張り付いているみたいに感情がない。今振り返ると表情筋が動かなくなったのだろう。iPhoneで音楽をかけた。街路樹の植え込みやコンクリートの隙間から生えている雑草を見ながら歩いた。誰もいない公園について、ベンチにかけてアルバムの何曲かを聞いた。ふー。

疲れてるんだな、とここでようやく気づく。残業量はまだ週に10時間未満だと思うんだけど、年度末に向けて綱渡りのような進行を余儀なくされているしプレッシャーはかかっていた。勤務後に散歩できる日も今週はなかったかもしれない。時間がまったくないわけではないはずなのに。週のはじまりに今まで経験したことのない頭痛(刺されるみたいな痛み)で脳神経外科にかかるというイベントがあったし、あとは雨が降ったりしていろいろ思うようにならなかったんだろうな。それ以前からうっすら続いている仕事のプレッシャーもあったし。

風景を見るともなくぼんやりと眺めたり、小さいものに近寄ってじっくりと見たりすること。そういう時間を定期的にもたないといけない。

いとも簡単にイ・ビョンホン

なんとなくTwitterに書く感じでもないのでここに書いとく。きのうはMSDマニュアル(オンラインの医学事典)でパーソナリティ障害の項目をざっと見していました。ちかごろ自分の心の問題への反省が進んでいて、ここ1年ぐらい自分は発達障害(グレーゾーン)をアイデンティティの一部としてきたけど、落ち着いて見てみるとそれだけでもない気がしたというか、それ以外にも目を向けてもいいのではないかと思ったから。精神疾患は、それぞれの部屋がパッキリ分かれていると言うよりも、互いに重なり合う要素が多い気がしている。

パーソナリティ障害の概要 - 10. 心の健康問題 - MSDマニュアル家庭版

MSDマニュアルによればパーソナリティ障害には10の下位区分が設けられており、ざっと見た感じそのうち8つは大なり小なり思い当たるふしのあるかんじだった。もちろん自己診断はしてはいけないことだが、この方向を掘り下げる意義はありそう、と思うにはこの結果は十分な理由を与えている。←この文は助詞「は」がやたらと多い。

西武球場は世界の玄関

休日は平日より忙しい。私は私の人生にしてやらねばならないことがたくさんある。生き急いでいるなと、ちょっと思うけど、でも今まで何もしてやらなすぎた、その反動だと考えると自分的には納得できる気がする。ただ休息はとらねばならない。

土曜日。午前中に病院に行った。健康診断で引っかかって(この短いフレーズで或るひとまとまりのことが通じるのはすごいことだと思う)、精密検査が必要だと言うから来たのだ。1時間半くらい待たされて診察室に通された。服を脱がされて体を触られ、ひとことふたこと話をされた。そのあと別の検査室に通され、また服を脱がされて写真を撮られ、尿を採取されて、また別の検査の日程を決めさせられた。検査当日は朝食を食べないように、お茶はいいが味のついたジュースなどは飲まないこと、検査1時間前から尿を溜めておくこと、など注意事項を説明された。自分が無表情なので話を聞いていないか理解していないかに思われたのか、3回ぐらい同じ説明をされた気がする。こういうとき「わかってますよ」と言ったら角が立ちそうだし、なんと言ったらいいんだろう。説明を自分で繰り返せばいいのか。そのあとまた医師から呼ばれて検査の結果を聞かされ、楡(仮名)は太っているから検査の結果が云々みたいな言い方をされてはっとした。失礼だなあと頭で思いつつ、そのことではなく、自分ではいまだに痩せているつもりでいたのだ。子供の頃から痩せ型だったし、筋肉がなくて腕も細いのでまだ「痩せ」だとなんとなく思い続けていた、腹が出てしまったがそれ以外は痩せていると……思っていたけど体重のこと考えたらもう「痩せている」というのは「言い張っている」という表現がふさわしいか。5年か10年遅れぐらいで自己イメージが切り替わった瞬間だった。

ブルックリンにぶらり旅

ダウナー系日記はまだしばらく続くかなあ。日記はじめた頃からわりとそんな基調である気もするけど。最近は自責の自動思考がひどくて、道を歩いてるとき、トイレにいるとき、風呂に入っているとき、心にすきまがあるとふっと風が吹くようにそれにさらされる。自分は気持ちが悪い奴だとか、嫌われているとか、人間未満だとか、無能だとか。受けているあいだはまさに風に吹かれるようにその肌触りを感じているだけなんだけど、積み重なるときっと心身に悪い影響があるよなあ。というかすでに出ている気もする。原因これだけではないだろうけど。最近は夜になると夜の闇がほんとうに真っ黒に感じられて、やけに明るいこの四角い部屋しか世界にはないのだというような錯覚に囚われる。胸も少し苦しくなる。2日前の日記と同じようなこと書いてるな。

この傾向は数日前に経験したある事件に明らかに起因しており、そのときの光景がトラウマ的にときおり自動再生されるのだ。雨がやむまでには一ヶ月ぐらいかかると思われる。以前に似たような経験をしたときもそうだったから。でも、自責はそれ以前から表面化していた。ここ一年ぐらい、世の中で接する、接点の薄い人──コンビニの店員など──の、自分に対する接し方がぞんざいになった気がしている。自分の身なりがみっともないからとか、顔色が悪いからとか、いかにもお金を持っていなさそうだからとか、そんな理由を(自分の中では)もっともらしいものとしてその都度思い浮かべる。

ちょっと前の日記を見返す。死にたいとは今は思わない。そのかわりに、生きるのが「ちょっとツラインダ」。

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最終的に魚屋さん

ここ数日は孤独に悩みがちだ。仕事が早く終わると空しさを感じることが多い。もちろん、早く終わること自体はいいことだし、そうあるべきだ。でも持て余した時間*1を何に使おう、何をしても無意味なのにという自動思考が走ってしまう。その思考の抜け道は今のところ見つかっていない。思考以外のところで対処するしかない。

今日は低気圧で心身ともに不活性だったのがマイナス思考に拍車をかけている。また今日は雨だったので外に出てもいない。人間とのかかわりが、仕事先の人と朝に5分ぐらい電話したのと、テキストのコミュニケーションツールで業務的なやりとりを少ししたのみだ。わたしはいわゆるsolitudeを好む者だけど、しかし完全に他者をシャットアウトして生きていくこともできないと感じた。結論に直接ジャンプするけれど、今の自分にはスキンシップが欠如しているという直観を得た。落ち着いて自分の感覚に注意を向けてみると胸も苦しい。ChatGPT 3.5 に聞いてみた。ストレスでそうなることもあるらしい。対策はないかと聞いたらいくつか挙げてくれた。ペットを飼うのも一案だと。いろいろな事情でそれは難しいけど、ぬいぐるみを迎え入れるのはいいかもしれないと思った。ぬいぐるみの自作に最近興味を持ったところだった。平均から外れた感性を持つものは、量産された「ふつう」が肌に合わないから、自分の手で何かを作ることがひときわ切実な意味を持つのだと思う。あとは、単に何かを大事にすることが生きることの意味を回復してくれるだろう。それはまずは自分に対してでよくて、スキンケアやごはんを作ることがその一つだ。自分を大事にすると他人を大事にしようという意識も芽生えてくる。人だけではなく物も。

本棚から『セルフケアの道具箱』を取り出して眺める。第2章の最初の節のタイトルは「「自分の心をひとりぼっちにしない」と心に決める」だった。いいことが書いてある。自分では思いもよらなかった。自分にはまだやるべきことがある。

*1:と感じられる一方、実際に数えてみると自由時間は思ったほどない。定時上がりでも。

小走りに工事中

部屋の隅にずっとある空のスプレー缶、間違って蹴とばして存在に気付き「ああもうこれ早く捨てないと……」と思う。捨てないと、どうなるのか。捨てないと「次に行けない」ということなんだと分かった。「捨てないとダメだ」という言い方がまっさきに思いつくけど、「ダメ」というのは行き止まり、ブラックホールのようなものとして表象される。そのあとどうなるかを教えてくれない、お先真っ暗の表象だ。「もうおしまいだ」という認識がわたしの人生を妨げてきた。〇〇しないと次に行けない、とこれからは思うようにしよう。