楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

1 大人問題の概略

いきなり重い話題という感じを受けそうなテーマ。まあともかく「大人」ということなんですが、大人になって丸くなった、事なかれ主義、大事なものを失ってしまう、そういうネガティヴに言及される意味での「大人」です。でも、そうして悩むかたわらで大人たちは平気な顔して生きているように見える。そしてある程度まではそうだろう。かつて重要だと思われていた、譲れない点が、年をとるにつれてどうでもよくなってくる。失ったその「大事なもの」ってなんだったっけ。大人になるとそれを忘れてしまう。かつて「大事なもの」だったものが大事でなくなる。言い換えると、大人問題は、大人になると解消してしまう。

一人の人間の中でそのプロセスが生じることがこの問題のユニークな点だ。定式化すると(ここで子供/大人という対立を導入します)、

・子供である太郎が、「大人になって失われるものがある。そして、それは大事なものだ」と考えている。

・大人である太郎が、「大人になって失われたものがある。しかし、それは大事なものではない」と考えている。

このような対立がある。なお、もちろんこれは異なる時点において生じている事態だ。

さて、大人になると、子供のとき問題と思われたことがそう思われなくなる、ということがある。問題が解消される、と上でも述べた。大人問題は時間が解決してくれる、とある意味では言える。でもそれを「解決」と称することを子供は認めないだろう。「きみが問題と思っていることも、いつかは問題だと思わなくなるよ」というお告げは彼にとって福音ではない。むしろ、それこそが問題なのだと子供は思うだろう。問題の問題性を嗅ぎ取れなくなる。それは大いなる堕落だ。「大人になって失われるもの」とは、それが大人になって失われるということ自体に対する感性ということを含んでいる。

それゆえ、問題は次のような形をとっているともいえる。

・子供である太郎にとって、Aということは問題である。

・大人である太郎にとって、Aということは問題でない。

そういえば、なぜ「太郎」という名前を導入したのかといえば、まあもちろん花子でも芳樹でも順三郎でもレイでもバーソロミューでもいいわけですが、この「子供」と「大人」が同一人物であることを示すためですね。それがこの大人問題を切迫したものにしている。高校生の太郎が、社会に順応している世間の大人たちを見て「世間ってクソだな」と思う、これも問題の一端ですが、より恐ろしいのは、そう思っている太郎自身がそのクソな大人にいずれなるかもしれない、という点であるわけ。

あっそうか、そうすると次のような対立も含まれていることになる。

・子供である太郎にとって、[自分にとってAということが問題でない]ことは問題である。

・大人である太郎にとって、[自分にとってAということが問題でない]ことは問題でない。

というわけで、この大人問題(問題問題言いすぎて混乱しそう)は、問題視しないことに対する問題意識、が問題になっている、という入れ子構造を含んでいることが見えてきました。ホント、問題問題言いすぎて混乱しそう。このへんの言葉の整理も課題ですね。

あと、「Aということが問題」とか「大事なものが失われた」とか書くだけ書いて具体的な中身を示していないので、次回以降でそこも埋めておきたい。早めに。