楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

ロカビリー発芽

近頃忙しいので。ので、ブログが書けてなーいと言いたいハナシだった。しばらく書いてないと日本語がヘンになる。なぜ「言葉遣いが」ではなく「日本語が」変になる、なのか。

昼から大学に行って、ラテン語の予習を片付けて発表に必要なテキストにとりくんで、4時間ぐらい。外国語の読解とかやってると時間がはやく過ぎる。単位時間あたりに進められる量が少ない。時間の使いかたが大胆になるな。ましてや古典語とくればであり、ふっと気付いたときに、こんなことしてる場合じゃないんだけどなっ…!と思う。ふとんの中とか、電車の中とか、川辺とか。たとえばね。それはともかく、図書館にこもって作業するのって気分のいいことだなと思った。「こもる」と言うためには少なくとも三時間くらいは滞在しないと足りない。まあなにしろ、空いた時間を使ってちょこちょこ物事を進めるより、どかんとぱーっと時間をゆったり使って何かをするのは気持ちのいいことだわ。松屋で牛丼を食べた。お昼すぎだったので、入ったとき一人だった。なんかひさびさでなんかみょうにおいしかった。でも途中で醤油かけちゃった。いやおいしかったんだが。最近覚えたので。夕方になると涼しくなり、きっと今夏は涼しいんだ、って勝手に。まああと一月するとすごいと思う。去年の記憶からするに。日差しがきつくて移動するのも容易でない。スーパーの中はものすごいクーラーがきいていて、そこを回復ポイントにして目的地へ向かうのだ。明日はスーパームーンだってハナシをツイッターで読んで、歩いて屋根の裏から見えてきた月はすでにパワフルだった。デカイそして明るい、街灯と同じくらい。

どうでもいいが(どうでもよくないが)、思いつくままばーっと書いていくと、あとで読み直したときに流れが不自然だと感じて、別に書きたくないのに「それはともかく」とかいってゆるやかに文章をつないでしまう。文章は事実を述べる形式でありながら心地よさとか、自然さとか、諸芸に求められる要素をも引き込んでいて、完全に実用的効率的なものではない。まあホント、端的に事実を述べたいだけなら箇条書きにすればよいしそれはよい方策だとも思うけど、べつに実用的になりたいんじゃなくて、ただ書きたくもない「それはともかく」を書かしめるこの規範性って何?と思います。話題が変わったのに段落を変えないお前が悪い。それから、一つの話題を提示したらそれを数個の文にわたって展開させねばならぬという暗黙の了解とかな。書きたいことを書きたいぶんだけ書くのでよいじゃないか。箇条書きにしないお前が悪い、やっぱり。でも、だったらなぜ全ての文章は箇条書きでないのだろうか? 紙がもったいないからか? 紙を節約するために改行を節約して、その制約の中で美しさを実現するために、異なる話題は接続詞で接続しろ、一つの話題はあるていどの長さをもって書けとか、そういうテクニックが生まれてきたったことかな。

下書き的にばーっと書いてみたかんじ、そんな自分の書いてる文章の文体があまり気に入らないのであった。でも、作文の論理がしみわたる前の出力である点、あと同族嫌悪という概念からすると、そういうのこそが自分の「素」だったりするから心理学ゎ恐ろしいのかもしれない。