楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

基本的なものは引き継がれる、あとはそれをどこまで純化できるかなんじゃないか

「最近どう」的な質問にいまだにうまく答えられない。なんか答えを用意しとけばいいのだけどね。いや、ひとつふたつは用意するんだけど、同じこと何度も答えてると飽きてくるし、これが最善の答えでないと反応を見ると感じるし、こんなんでいいんだろうかという気がしてきて、結局いつかは言葉に詰まる。

最近どう最近どう。世間話が苦手だ。したくない、苦痛を感じる、そういうわけではないけど上手にできない、そこから有意義なものをあまり引き出せないから、積極的にやりたいものではない。

自分のここ数日から数ヶ月ぐらいの生活に対する、全体的な印象、総括的なコメントを求められてる、そういうわけでないことはある程度知っている。でもねぇ。身の回りのことをなんでもいいから話せって言ってるのかもしれない。でもそうしたら自由研究の難しさだ。何を話したらいいのかわかんない。

関心あるテーマなんてない、と言いたくなる。悩みがないことが悩み、みたいに、関心がないことに関心がある、そう言いたくなる。

まさかそんなことはない。もしそうなら、「最近もさっぱりですねー何もないですねー」と悪びれず返しておけばいい。いや、そう返すのが失礼だから困っているのか? ジレンマ。

でも、じじつは、何にも関心がなかったらブログやツイッターでこんなふうになにか書いてはいない。ただ、いわゆる世間話に適した会話のスタイルや、話題選びがうまくできない。そして言葉が出てこないときの空白。

沈黙を気まずく感じるべきではない、という提案には賛成だ。言葉が発されなくても、その中で何かが進展しているような沈黙はある。そんなときにむりに言葉を出せば、進展していたものが遮断されてしまう。

でも、心のうちで何かが進展し始める前に、言葉を見失ってしまう。そして見失ったあとは荒涼たる砂漠だ。

心の中で何かを探しすぎてしまうのだろう。材料も揃っていないのに。

それに、相手にどう思われるかを必要以上に気にしているために、言いかえれば、自分の発言によって自分の印象をコントロールしようとするために、アイデアはさらに先細りする。色々考えてるように見えるけど、その考えてることの大半はよけいなことだ。

人と対面しているときは、多かれ少なかれ緊張しているので、いや、誰でもそうかもしれないが、目に入るものも入らなくなる。いつもは意味をなして飛び込んでくるものがすっと背景に引いてしまう。

でも、誰でもそうかもしれないじゃないか。それが、自分の場合は、「対面の場合にこれを話題にするのは適切でない」とカテゴライズしている範囲があまりに広すぎるんだろう。

 

思い出したようにこんなこと書いてくなんて日記書きの風上にも置けませんねぇ。