楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

寝る前に日記書こうとすると結局書けないということがわかった。やるべきことを先送りにして生きているのでタスクを押して押して一日の終わりにつめる。寝る時間になってて……ところで、こうして出てきた言葉が美しくなく、思考もきしんでにぶくなっているとき、人はどうすればいいのだろうか。いや。少なくともここでは、ともかく書くことが重要なので、言葉が美しいかどうかは二の次にしているはずだ。美意識がでしゃばる。ところで、しかし、言葉が美しいことは、僕の用法では、言いたいことを適切に表しているということと同時なので、散文や論述においても言葉が美しいことが求められるといえる。だけど日記ではそれさえ求めないつもりでやっている。とにかく書く。言葉と思考をつなげる。その最低限のところさえできてりゃいい。と思って自分にルールを申し付けている。ところで眠い。ところで、思考がきしみキーボードを叩く指先がぐずるのは、ここでも美意識がでしゃばるせいだ。美意識が、正義感をはたらかせすぎて、目に付くすべてに口を出そうとする。これから書く言葉は、美しいものでないかもしれない。ぐずぐずの思考が垂れ流されるかもしれない。それは未来が美しくないことと同義だ。そうゆう意識が歩みを重くする。べつに、ふだんおしゃべりなわけでもないし、言葉の訓練を積んでいないから、そこでぱっと出た言葉がなんだか冷蔵庫に入れすぎたおかずみたいに冴えないものであってもそれはもっともなことだと納得するのが当然だ。自分の状況さえ明確に見通せない。だから、とにかく書いていくことが大事、実践から技術と心を身につけるそれが唯一の道、そう飲み込んで、書くことを続ける。