楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

抵触きゅうり

ものごとがはじまるときはまとめて降り掛かってくる。よいものもわるいものも等しく。と書くと悪いことが起こったみたいに読まれそうだけど、そうではない。だけどこの法則性を頭に浮かべるときに参照したのが、健康であらねばならない時期に精神的なダメージを受けた事例だったので、「わるいものも」なんて言い足してしまった。ものごとがまとめてはじまったりおわったりするのは、ひとびとがある程度統一されたこよみにのっかって暮らしてることに起因するので、べつにミステリアスなとこがあるわけじゃない。

何が言いたいかというと、また忙しくなってきそうだなって。忙しいなんて主観的なものだし自分に対して自分がどう、という話でしかないからこれはひとりごとなんだけど。

ここ数日また書きあぐねていたのは、まあ書かなきゃならぬと感じる話題がとくべつなかったのも確かなのですけど、結局「見栄」が効いてたんだなと思う。インターネットまできて見栄だなんて時代は変わった。時代じゃないお前が変わったんだ。まあいい。僕は変わった。変わりつつある。それにどういう態度をとるのかはまた考えよう。結局、「今日は特に何もなかった」と書くのがなんかいやだった。いや、ていねいに思い出せば、特に何もなかった日などなくて、ある程度の分量を書けるものなんだけど。でも見栄が邪魔する。なにも言わなければ有能に見えるから。裏返せば、ぼろがでるのがこわい。ごくおおざっぱにとらえれば、そういうことだ。

書き続けるしか他に道はない。そんな気分。「今日は特に何もなかった」という一文だけを更新し続けるのも、ひとつのやり方だろう。