楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

打ち水カフス

みなさんお元気ですか。私は、たまにあいさつがわりに「元気?」と聞かれるのですがなんと答えたらいいかいまだにわかりません。元気といえば元気だが元気だと宣言するほど元気ではない。あいさつがわりなのですから「元気です」と答えておけばよいのですが、でもねぇなんかねぇ。でも人に「元気?」って話しかけるのは楽しいとおもうので僕もたまにやりたくなります。というか今書いてて気づいたのだがあれは「ごきげんいかが」「さいきんどう?」的な意味なのではないのか。つまり「近況について何かあれば語れ」という趣旨の入り口なのではないか。まさか健康や安否を気遣っているわけではないだろうからねぇ。

今日は11時過ぎまで寝ていて、起きる用事がなかったのでね。でも不思議と頭は痛くならなかった。不思議とというか、そういうときもある。ごそごそ起きて着替えたりしたあと、手許にあった本の一部分の写しをテキストに起こす作業を忽然とはじめる。なぜかわからない。タイピングの練習か。近頃タイピングが手癖になってきて、言葉の続きかたなどろくろく考えずに関係のない語句を打ち込んでしまうので、ほっとくと文章にならない。考える速さをタイピングがはるかに追い越していくんだよな。高校生のころからウェブで日記書いてますけど、当時は考える速さで書けていた。考えるのが遅くなったというよりは、考えるのと書くのが直結しなくなったし、アウトプットまでの行程が複雑になったのはある。複雑になった行程の正体は、よく見られたいという虚栄心だったり、下手なもの出すわけにはいかないという公共心だったり、する。いやそんなガラじゃないと思うんだけど。このブログは。

日常のこと書こうとしてるのに、どんどん微視的になってしまう。いや、日常的であると微視的であるとは両立するけど、一つの事象をためつすがめつ捉えてみるのが僕が思い描いてるやつで、でも実際やってるのは、顕微鏡でのぞいたり、レントゲンで透視したりというアプローチだね。もちろんそれで明らかになるものはたくさんあるけど、それってもと見えていたものとはぜんぜん異なるものでしょう。木を観察するのと葉脈を観察するのとの違い。

夕方になってから大学に赴いて特別授業に出た。授業の内容もさながら台風が近づいた雨は粒が大きく風が吹いてズボンは上まで濡れた。電車から降りた瞬間に感じる空気のにおいはもう冬のものだった。余裕を持って出たつもりなのに遅刻しそうになって、授業前にお腹に入れておこうと買ったランチパックを食べそこね、終わってから外で食べた。寒いなと思いながら(これがけっこう好きなのだ)。