楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

あんかけ製氷室

鬱だって日記を書いたその翌日にツイッターから引きこもる宣言したのでなんかとても心配な人になっていますが(なっているかもしれませんが)私は普通です。ラジオ聞いてにやにやしながら歩いたり、おもしろ動画みてにこにこしてるし。面白いとこリピートしちゃうね最近。漫画もそうだ。

ツイッターから引きこもるということの意味は、発言しないだけでなくそもそもツイッターを見ていないので、今日は見てはいけないことにしたので、勉強のあいまにラテン語よめねーヴァーてなったときに逃げ込むものがないっていうか、かわりに買って読んでない本の目次とか眺めたりするわけですが、なんだかどうも近頃は私の生活におけるツイッターが私のpassiveな部分がむき出しにされる感じで、タイムラインにつねになにかを待ち構えるような気分が裏書きされていて健康的ではないな……とかなんとかいろいろ思ったりして、気分転換にいったん距離を置いてみることにしました。一日だけだとかえってソーシャルアクトの一環という印象もあるので一週間ぐらい頭冷やしてみてもいいかなと思ってるが。そこまでは決めてない。

しかしそのへんの、一日のうちしばしば感じていた「タイムラインどうなってるかな」って期待と憂慮が遮断されたというだけで、ふだん考えることはすこしも変わっていない。一日だけだからってのはあるが。結局回線の(いまは電波の、か)向こう側に思いをはせてしまう。

書いてるとつい暗いほうにいってしまう。おっかしいな。いっとくが別に暗い気分ではないのよ。楽しくやってても本質的に暗い部分を秘めてるということなのか、単に提示の仕方がまずいのか、しかしこれでひとをひどいめに遭わせてきた実績があるので、できるなら変えたい部分。漫画を描くかやっぱり。自分が表現したいことは漫画において適切な形式を与えられる気がしている。そう考えて、そもそも「自分が表現したいこと」があるということにもふと気づく。