楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

空中論壇

午前5時過ぎ、大きな地震。ちょっと本気で身構えた。東京では震度5弱。眠りの前半から中盤にかけて、大きな地震に備えて高いところに置いたものを降ろしておく夢を見た記憶があり、予知夢だろうか。しかしこんなことは今までなかったので単なる偶然という気もする。でも常習性?を予知能力の条件とするのはどうなのか。「わたし予知夢見るんですよ」と自称する人もまたあやしい。予知しているというより、見た夢を予知夢として解釈する志向が強いだけではないかという疑いがうかぶ。

これで目が覚めてしまったので、もう起きてしまおうかな……と、すこしたのしみにしながら考えていた、が、その提案に体は乗ってくれず、結局起きたの12時。

インスタントラーメンをスープ少なめで作ってネギを入れて食べた(ネギ辛い)。「ごきげんよう」を見る。わたし「ごきげんよう」のファンですけど、「真実の鼻」が導入されてから今風のバラエティ的なノリが入り込んでしまったように思う。そんなんなくても笑えるのがごきげんようのいいとこなのに。

休みが続いていて生きる波動をつかみかねていたので、寝転がって『八木重吉詩集』読んだり。ちょっとほかにない素直さで言葉をつむぐ、おそろしい詩人だわ。あと一個一個がみじかい。俳句かってほど短いやつとかある。それだったらいっそ俳句にしてしまえばと一瞬思ったが、それは激しく野暮なコメントだな。なぜだろうか。形式に優劣をつけることだからかな。  わからない単語をきちんと辞書で引いて、引いた言葉にはマーカーしておくことに決めた。やってみると知らない日本語山ほどあるな。ひっきりなし。

こう見えて一日中家にいるの耐えられないタイプなので午後6時頃に散歩に出た。ジャージに着替えて。近所の川沿いを走って、流れる水を見ようと思った。それが心に栄養を与えると思ったから。このくらいまで具体的に目標定めないと僕は動けないのか。そうなのかもしれない。だから、系統的に目標を産出するような文脈を身につける――要するになんらかの身分をもつ、学生、職業、所属同好会、資格取得――ということは有用だ。

結果的にとても楽しかった。走ったり、つかれたら歩いたり、立ち止まって橋の上から川面を見下ろし、無数の波がなす模様をながめたり。歌ったり。こういうことがふだんはできない。持ち物がないだけでも身軽さがだいぶちがう。ゴールデンウィーク中ということもあるのか人の目があまりないのも自由さを加速させた。川沿いだから信号も車もない。自由に動けて自由に止まれるってのは、いいよ。

小学生の頃に毎日友達と遊んでいた公園に、10年越しぐらいで足を踏み入れた。年数は適当。もともと砂地だったはずが、表面を覆うように草が生えていた。(使われてないのか?) ジャングルジムに登った。今登ってもけっこう高いし、こわい。摩擦は十分あり、足を滑らせる危険がそれほどあるわけじゃないが、つい慎重になる。上の方によじ登って立ち上がり景色を見渡そうとしたが、手を離すと腰が立たない。腰を立てるとバランス崩しそうで。それからブランコの近くに猫がいた。人間慣れしてる猫で、一応は警戒するものの、近づいて見てると腹を出して転がったり、体をすりつけてくる。要求の表現がわかりやすくて好もしく思ってしまう。軽くなでていった。それからブランコをこいだ。あの感触、ふだんの生活にはないもので、慣れないスリルにへんな声が出た。こういう身近なとこにスリルがあるとは。