楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

花金般若波羅蜜

レンタルサーバmySQL とかやろうという気を起こしていたけどインターネット資源をかるくさらってみるとあいかわらず敷居が高いですね。インストールの仕方について書かれたページはたくさんあるけど、 mySQL とかデータベースがどう役に立つのか、どんな場面に必須なのかが結局わからない。ま、専門的なものだから、技術を備えた人だけがさわれるようにしておくべきなのかもしれないね。
とり・みき『愛のさかあがり』届く。この人漫画家だけど自分の中では批評家として位置づけている。批評も漫画も的確。
▼そういえば、昼にぼんやりワイドショーを見ていて、グルメを口にしながら出演者がコメントするわけですけど、食べ物との対し方としてなにかずれていると感じた。おいしいものを食べてそれがいかにおいしいかを言い表す必要って、どこで生じるんだろうか。
▼昼にワイドショー見てたということはつまり、寝坊しました。昨晩寝る前に芽生えた悩みが夢の中にまで入り込んで、おなじ空間のまま覚醒しながら鋭い腹痛を経験し、夜2時くらいにトイレに入って下痢をした。苦しみはなくてなんの迷いもなく・かつ、折り目正しく排出されたので、それはよかったけど。それで疲れたりして寝坊したのかもしれない。いずれにせよ外出の予定はなかったし雨が降るという予報だったので引きこもるつもりでいた。
▼起き抜け、「存在することと発言することが等価であるツイッターのシステム」などとツイッターに書いた。実生活では、発言せずにその場にいるという存在の仕方をしていることが多いので、ツイッターという場に投げ入れられるだけで僕は存在の90パーセントがカットされる、困ったなあ、というような。それにしても僕はTwitterの話とか、前ならブログと日記についてとか、言葉のこととか、メタレベルの話ばかりしている気がする。オブジェクトの世界に一歩踏み出すことをせずに。踏み出すなんて表現が出てくるのは、メタレベルの話をすることが、逃げるための方策として使われるのがしばしばだってことなのかな、やはり。いや、これ、自分のためになるかならないかって関心でのみ有効な話ですけどね。
▼詩っぽいものを散発的に試みてるわけだが、これは長いものを書いてしまうと、とたんに良し悪しがわからなくなるというか、均質なある無敵ゾーンに入ってしまう気がする。日記もそんなところがある。とりあえず2000字書けって僕は指導してる(指導を受ける者がいないが)。いや、単に集中力が途切れやすくて審美眼がすぐ鈍ってくるからだと思うけど。
▼「雨が降って、空気が沈んで褪せているから、とくに理由もなく悲しい。」とメモにある。理由のない感情なんてあるんだろうか。原因はあるにしても、はっきりこれが悲しいと言えない悲しさだった。さみしさとも違った。どちらかというと快楽だった。人には会いたくなったけども。
▼夕方、長靴をはいて傘をさして散歩に出た。舗装された川沿いを歩いた。言葉のない世界、結局僕は言葉がないほうが静かで好きなのだ。意味がない方が。本来意味があるものなんて世界には一握りしかない。人生には意味がないと言う人がいるが、むしろ世の中に意味があるものがあるとしたらそれは人生くらいのものなんじゃないだろうか。田村隆一「帰途」を、また読み返す。