楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

窒素の素揚げ

7時ごろ一次起床、11時ごろ本起床。7時に起きてあさいちでプールに行くつもりだったのに二度寝をする。眠気に負けたというかなんか、反省してみると、実は寝る前から寝過ごすつもりでいたような気もする。7時に起きて朝一でプールに行くと決めていながら、でもほんとは寝坊して一日家で過ごしちゃうんだけどネ、というとこまで織り込み済みで明日を予想していたような、そんな気もしてくる。うまくいかないときはあらかじめうまくいかないと思っているのであって、その予想が実現するためにうまくいかなくなるように自分を仕向けているのだ……心理学でなんというのか忘れたけどあるそうです。
手と顔を洗ってはじめに口にしたのは昨日作っておいた水ようかんで、一日のはじめに甘ったるいようかんを口にすれば傷口にしみるような甘さに感じ入ることができるだろうと、はじめから泥酔を目指してお酒を飲むひとみたいに考えていたわけですが、手作りのようかんは砂糖を抜いたため(だって100gとか多すぎるよ……)ほんのりよい甘さで、飲み物がなくてもいけるくらいでした。
そのあとトーストを焼いて食べ、とりあえずパソコンをつけた。ラジオをつけて、昨日届いたAronsonのGeorgian: A Reading Grammarを読み進める。充実した情報源となっており、淡々とした書きぶりながら愉しい。このくらいのつつましさが自分の美意識にも見合っていて、心地よい時間だった。つつましいと言いつつ贅沢だよな、きっと。というかつつましさ自体が贅沢となりつつあるのか?もはや。
山下達郎のラジオを聴きながらAronsonをさらに読み進める。器用にできてないので山下達郎のしゃべりも半分くらいは聞こえてない、Aronsonも内容はわかるけど細部とか前後を踏まえてる具合が落ちる。でもまあ読めてはいたので継続した。
なんか、ツイッターはチェックしつつ。
一段落ついたので日課のテキスト訳読をはじめた。じゃなかった、より詳しく書けば、Aronsonが一段落ついたので本を閉じてわきに置いたところ、手持ち無沙汰になって「やることがない!」と焦りはじめ、すきまを埋めるようにテキストを手にとって訳読をはじめた。たまに空白がこわくなる。空白のほうが多い人生な気がするんだけどな、ほんとは。
訳読が思うように進まず、きちんと理解するには時間をかけなきゃいけないのだが、なかなか理解が進まないので、焦っていらいらして雑になる。訳出が雑になると脈絡も見えなくて内容がまた遠ざかる。これで疲弊した。すべての心配を捨ててじっくり向き合わなきゃならない、そのためにはとにかく時間を費やすしかない。んだけど。
もうぜんぜん家の中で腐っていく気でいたが、5時頃、散歩には出ようという気を起こす。結局どれもこれも気分だ。戦略などなにもない。でもそれでまずいのは、気分で起こせるだけの行動とは準備のいらない行動のことであるから、その方針だとおのずと起こせる行動が狭まるということで……、今日は教訓バナが多いですね。外出ようと思ったら雨が降り出した。
疲れて関口存男『関口・新ドイツ語の基礎』に逃避。ドイツ語はそもそも大学入ったときに第二外国語でとって以来のつきあいなので、大半が既知の事柄で、理解するのに負担が小さいものを読んでいたら、不思議と心が軽くなった。気が塞いでいたのはずっと気がかりなあの意思疎通のことだけじゃなくて、今日の訳読で疲弊していたのか。
心が重かった時分は心に何を抱えていて、心が軽くなったときには抱えていた何かはどこに消えていくのだろうか。比喩の過剰適用かな。
話は朝のプールに戻って。寝坊したところで昼から行くことはできた。しかし昼は込んでいるのではないか、しかも夏休みだし、そう思うと心が遠のいてしまう。実際に行ってみないとどんな具合かは、人生経験の乏しい僕には想像しがたいし、ただ一般的な傾向として、条件がきれいに整ってないと動きたくないところがあって、ほんとは条件が少しは整ってるくらいで動いてもなんとかなるんだろうけど、それを体感としては知っていながら、条件がきれいに整ってないとダメって命令する中枢があって、結果としてがまんしなくていいところでがまんをしている例がたくさんあるようだ。それはもうたくさんあって、僕の性格の一部といってもいいくらいなのだろう。
あ、また暗い感じで終わってしまう。でも他に書くこと思いつかないのでおわり。