楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

体が小樽

人生を賭けるような趣味とか使命がこれといってなく、休日になるとさて何をしようかと毎度首をひねっているような人間なのですけども、「私のやりたいこと」って何かと考えたときに一つ言えるのは「家事」だと思う。家事をこなしているときは、やるべきことをやっているという感触がある。人にはそれぞれ世界の中で与えられた役割があって、こと私に関してはその一つが家事であるという感じ。*1 でも家事って――自炊とか、風呂の掃除とか、ゴミ出しとか、家計管理とかですけど――世間じゃあまり重んじられてないですよね。仕事の二の次。世の雇用者は、労働者が休養をとったり余暇を楽しんだりすることは意識しても、労働者が家事を十分にこなせるように配慮するということはあまりないんじゃないかと思う。感覚ですけど。要するに労働者にとって私生活というのはあって当然のものではなく、余力があったら取り組むようなものとして認識されているんじゃないか。でも俺にとっては逆で、それぞれの世帯を整えることが第一で、それでなお余る時間があれば集団での労働に充てる、というのが正しい順序に感じる。まぁ、いまこんなふうな仕組みに社会がなってるのはなぜかって考えてみたほうがいいんでしょうけども。私は、仕事がんばるより家事をがんばりたい。そうやってスローガン化してみると、公生活と私生活、集団と個人という対立軸が見えてくる。つまりはそういう好みの話なのか?

*1:この考え方は「ナフ」の「NO-FUTURE」に対するリンクコメントから学んだ。曰く、「自分がどういう人間で、どういう星の下に生まれ、どういう行動を起こすべきなのかをきちんと理解・把握している人。」(まだリンク生きてたとは……。)