酒を飲んでいる。ジンを。明日はバイトがないのでめでたいめでたい。しかし酒を飲んだら起きられない気がする。酒を飲まなくても起きられない気がする。休日は、その日その時しか果たせない用事がないときは、ようするにどうしても6時に起きなきゃいけない用事がないかぎり起きない。おまえの「どうしても」は、しかし、視野の狭さに由来するものであって、なぜ6時に起きなければならないと考えるのかと反省し詰めると、授業に出るのは単位をとるためであって、単位をとるにはレポートを提出すればよく、出席ではなくレポートの出来がよければいいのだから、べつに無理して起きる必要ないかーと思い直して安心して眠れるのかもしれません。余計なこと考えだすといろんなものがわかんなくなり、動機が剥がれ落ちていく。視野は狭いに越したことはないね。って、そんな視野の狭さが、おとなしく勉強してテストでいい点とるおりこうさんをつくるのかもしれませんが。おりこうさんはどこで壁にぶつかるのか。
今日も夕方までバイト。そして今日もバイトにくれてやる言葉はない。通勤と昼休みに松田聖子のベスト盤を引き続き聞いて、ほんとにすばらしくて泣ける。僕のいう泣けるってのはじわっとくる感じです。それにしたって対象に感動してんのか対象に感動できる自分に陶酔してんのか、その二重写しだよな。というか、泣く系の感動においては対象から受け取ったものを頭の中で組み替えてパズルがうまくはまったときに感動できるみたいなとこがある。つまり「泣ける」ってのはむしろ理屈っぽい反応なんじゃないかという仮説。でも松田聖子がすばらしいのは泣けるゆえにすばらしいわけではもちろんないのであって、楽曲がいいんだよね(二回目)。そしてそれに歌手がきっちり乗れる。
酒飲んでも本が読めるようになったので、ああ、なんかさすがに訓練されたナとおもいます。本を読むのに心の準備体操がいらなくなったこと。意識的にコミットに向かわなくても読み始めることができる。人はそれを習慣とかいう。読書が生活の内側に属するようになった。