楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

よそもの

帰りに、新しい近道を見つけようと思ってマンションに入り込んだら行き止まりで、すれ違った住民(か、もしかしたら管理人)のおじさんに睨まれた。文字通りにらまれた。あんなにはっきりと敵意を向けられたのはずいぶん久しぶりである。行き止まりかーと思って戻ったらおじさんはこちらを睨んで立っていて、絶対なんか言ってると思って音楽を止めて「なんですか」と聞いた。マンションに侵入した不審者たる私はイヤホンをつけていっそう不審者ふうだった。おじさんは「なに」と聞き返してきた。自分の聞きたいことは知っているだろうというわけだ。近頃はやった表現でいえば「えっ」「えっ」ってやつ。材料は揃ってるのに出方を相手に委ねるこうしたあたりかたは責任転嫁的で男らしくなくてあまり好きではないんだけど、無責任であることは楽ちんなことだからそれを行使する誘惑にひとは駆られる。そうした事情を私は知っているし今回は侵入者たる私のほうが法廷的に考えて負いがあるから、「ちょっと、、なにがあるのか見てみたかったんです」とか述べて退散した。おっさんの目がマジだったので多少まごついてしまった。こういう場面でまごつくのが不徳とかいうわけではないが、でも理想はもっと軽やかな、いっそ軽薄な応対だな。しかし冷静になって反省するに、自分のマンションの中を知らん人がちょくちょくふらついてたら、確かに不審に思うだろうし、脅威さえ感じるかもしれない。近いうちにこいつはここで犯罪をおかすかもしれないと感じるかもしれない。そうした想念がおっさんのあの曇りのない敵意の背後にあったと理解しても行き過ぎではないだろう。問題のある行動だったと納得する。日本人は内と外の区別に敏感だからな。そんないいかげんな考えを走らせながら、動揺をすこしずつ落ちつけた。プライベートスペースというものが、住居の範囲まで拡張されていると捉えてもいいかもしれない。自分の所有する空間が、そのまま自分の身体になる。そのわりに、都会の電車の中では、プライベートスペースが侵害され放題で、流行りの言い方では合法的にプライベートスペースを侵害できる場所なんだけど、かりに合法的だとしても侵害されるのは嫌なので、電車の中でうかうか携帯とか見れません。それはちょっと違う話だな。うん。まあ建物の中通るのはやめときます。