楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

寝過ぎた。頭痛くなるまで寝てしまった。しかしもはや止めようもない。勝ち目がないとあきらめ始めている。せいぜい健康的に過ごそうとするのみ。

家でひたすら読書の消化をこころみた。ぜんぜん面白くないというか、ぜんぜんわからない本だが、ひととおり目にさらしておくことには意味があろうと思ったので、がんばって読んだ。しかしこの雑さ。ていねいな作業をたまには入れないと体壊す。無駄ではないと念じながら読み飛ばしていったけど、最後のほうになって我に返って?むなしくなった。結局「努力は報われる」タイプの現状正当化の力なのかしら。

日没にかけて友部正人『にんじん』を聞く。夕飯を先延ばしにするのに比例してわびしさは加速する。ことばも歌も演奏も、しばらくは堪能していたのに後半は眠りかけたりTwitterをみたりして、ほんとに集中が弱い。

夜になってから散歩に出かけた。その中で、どうでもいいことを思い出した。こうして「どうでもいいこと」なのにわざわざ取り上げて、そのうえで「どうでもいい」と突き放すあたり、それは実はどうでもよくないことで、でも忘れたいので「どうでもいい」と押し戻しているのか、という推測がはたらくかもしれませんが、ほんとうにどうでもいい。それは3年ほど前の誰かの発言であり、当時の僕は「フランス書院」がなにか知らなかった。その単語が耳に入って、なんだろうと思っていたのだ。たぶん生涯で初めて思い出した。

どうでもよくないことも考えたかもしれないし、でも覚えていない。しだいに考えもしなくなって、楽しいもつまらないもなくなって、ただ汗がまとわりつく不快感のみ残り、家に近づくころには今回の散歩を要約するのがほとんど不可能になっていた。

日本酒を飲むためにししとうを買ってきて炒めた。ちょうど一年くらい前も、いや、二年前か、同じことをやっていた。塩をふったつもりが足りなくて、皿に上げてからふり直したのもたぶん同じ。そして期待したほどおいしくはなかったのもきっと同じだ。暮らしているうえで、「変わってない」ばかり発見しているが、「変わった」を発見するほうがね。豊かなんだよね。