楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

本を借りに行くつもりだったので、外出できるような時刻に起きた。ごはんたべて、身支度して、居間のソファでぼんやり思いをめぐらせてたら連想がつながって、あのーピチカートファイブ「東京の合唱」の冒頭で松崎しげるが「やっちゃうぞ〜」と掛け声をかけるのですが、その「やっちゃうぞ〜」が僕は好きで、それを確かめるためにピチカートのベスト盤を流したら必要以上に居心地よく、5曲ほど乗り越してしまった。同時に、オシャレでマニキュアなこのアティテュードに肯定的ともいえぬ微妙な気分。夏だからな。ちぇけらっちょ。

学校行って記事読んで資料コピーして本借りて、そのあと半月ぶりぐらいにカラオケに行った。私がカラオケいうときは十中八九ひとりカラオケなので。「ここでいっとくかー」という、動機欠如的な行きかたをしたが、それでかえってよかった。娯楽に目的なんかもつもんじゃない。ここしばらく、最後に「九月の雨」で〆るのが常となってる。裏声を最大限駆使しないと歌えないのに。あれで出てくる映像が太田裕美本人なのかはいまだに確かめていない。

夕飯のお供にポテトサラダを作成した。ログを見ると少なくとも一時間はかかってるからたいへん非効率な料理をしたと評価できるけど、作って食べたら幸福感に満たされた。幸福ってつまり感じなので、そのうち脳の特定の部分を刺激すると幸福感が得られるようになるに違いない。そいつが幸福の正体だ。それはともかく、日中は本借りに行ったりして電車の中で読んで夜は料理して食うみたいな暮らしはこのうえなく満ち足りたものだと感じたのであれだな、幸福は意外と身近にあるってこのことか。いや。実現しにくい状況だともおもうけど。まあでも社会の全体的なあり方が、ここで取り上げたような幸福に向かうどころか離れてってるってのは、ひとつ洞察としてとっといてもいいだろう。

幸福になると不幸にも敏感になるので、というかバランス取ろうとしてというかだが、シルバニアファミリーの人形とか見てると悲しくなったり虚しく感じたりする部分があって、あとペットフードのパッケージの絵とかが苦手で、ずっと見てると虚無感に包まれる。なんか昔からでよくわからないんですけど苦手です。しかし夏だからか暇だからか、感性が開いていてそれ自身は楽しい。