楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

やくぶつ

アルバイトで肉体労働して疲れたのでプロテインを飲んでみた。労働した後にプロテインを飲むと筋肉痛にならないと聞いた。結果はどうなるかな、わからない。こりゃ筋肉痛になるなと確信できるほどヘヴィな仕事ではなかったゆえ、翌日ふつうに過ごせたからといって、それがプロテインのおかげだったかどうか。確定できるわけではない。

酒もタバコもそのようなものだ。緊張をほぐすのに酒が絶大な効果をもったり、気持ちを楽にするのにタバコが抜きん出た効き目をもったりするわけではない。どちらかというと気の持ちようだ。気の持ちようのおしりを押し上げて補助するくらいの役割にすぎない。でもわれわれ、こういうものに頼ろうとするな(たばこはもうやめたけど)。頼ろうとする、というのは、ここで、「たいして頼れないのに頼ろうとする」という含意をこめている。頼れるかどうかより、頼りたいのだ。酒やタバコに頼る俺かっこいい、なのだ。頼るというとかっこわるいから、道具を効果的に用いる俺かっこいい、そういう心理が後ろにあるんじゃないだろうか。

薬物とは実用的なものだ。薬物を用いるには目的がある。緊張をほぐし腹をわって話すために酒を飲む。もうひとふんばり力を出すためにエナジードリンクを服する。息抜きも大事だ今はしっかり休むためにタバコを吸う。仕事のパフォーマンスを保つためにプロテインを摂取して筋肉痛を避ける。意識の高いことだ。ようするに薬物は仕事をする人の味方だ。ようするに、薬物は、仕事をする人が、おれは仕事をしているぜ、パフォーマンスを上げることに関心があるぜとアピールするためにチラつかせるアティテュードだ。いや、アピールして賞賛されて気持ちよくなりたいというよりは、自分は仕事に関心をもってるぜ、仕事人だぜ、そう自己認識を飾ることで気持ちよくなるのかもしれないな。自分は仕事に関心があり、高いパフォーマンスを発揮して毎日を暮らすことに関心があり、しかもそのための効果的な手段をも心得ているし実践している、と。

いや、たぶん、こういうものに明確に恩恵を受けた経験がほとんどないから、こんな皮肉っぽいことになるのでしょうけど。お酒の飲み方は最近すこしわかってきた。