楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

二等辺の旅人

整理されてきた。自分が中心的に扱っている題材よりも興味深く感じるテーマや、有意義な結果が出せそうなテーマは、ある。いくつもある。できればそっちに鞍替えしたい、って考えが去来した。でも可能性の話だ。possibilityは取り扱い注意だ。可能なその結果へのアクセスは開かれている。でも距離や道のりも考えなきゃいけない。特に、時間が限られているときには。気になるテーマについて一から勉強を始めて、一年とすこし後に結果が出せるか。また、その結果が出せるような見通しが数箇月後に立っているか。その点を考え合わせると、突然の路線変更は、合理的な賭けではないだろう。——と、オルタナティブをあきらめる気になったのは、自分がいまかかずらってる対象からも、なにかしら意義のあることが引き出せそうだという気になってきたからではある。そしてこの気分もまた、不確定な未来に思いを投げ込むことで部分的には得られている。つまり、まだきちんと見てない文献に期待を抱いている。つまり依然として危なっかしいんだけど……。

ユースキンIたんを普段は使っているわけだが、気まぐれでユースキンAさんに変えてみた。チューブのデザインも目に心地いい。塗ったときの匂いも薬品然としていて好ましい(塗ってすこしすると匂いは消える)。肌のひび割れも改善されてきた。しかし塗ってないときはストレスでかゆくなりやすい。はっ、これを依存というのだろうか。しかし塗らなくてもどうせかゆいのである。

心に残っている要点をかいつまんで述べるのも一形態だが、言及に値しないこと、あるいはあまりおおっぴらにしたくないこと、そういうものこそが日記に書かれるべきではないかとの思いもある(そうした実践としてまっさきに思いつくのが、「ぐ戒」だ)。まあ、そうすると、読者にとっては負担が大きくなり、読むモチベーションが下がり、もっぱら自分の気づきのためだけに書いているようなかっこうになり、そうすると公開する意味なくね?ってなってバランスを崩しやすいので、だからまあそういう形態はこれからも流行らないんだろうなあと思いますが。だけど、暮らしてる上で忘れ去られていくこと、認識からオミットしても差し支えないこと、そういうものをすくい上げて晒していくことに、なにかしらの意義があるんじゃないかって疑いをむかしから持ち続けていて、いるし、まだしばらく持ち続けてもいいかなって思ってます。