駅から家まで、ラジオを聞いて帰ってきた。なんとなくFMは肌が合わなくてAMばかり聞いている。わかんない。スノッブ趣味と思われるのは心外だけど好きなものを聞くことが優先だよね。ニュースが紹介されていて、30分5000円で女子高校生と散歩するサービスを提供する店が秋葉原にあって、その経営者が違法なことして捕まったらしい。ネットで読める記事としては次のものとか:
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20131003/dms1310031141013-n1.htm
ラジオでしゃべってる人が「30分5000円」に食いついていて、うーん5000円で女子高校生と散歩、しかも30分きりかあ、5000円あれば牛丼10杯は食べれるよね、というような発言をしてた。よくある反応だとは思う。趣旨としては「女子高生とひととき散歩することがそんなに価値の高いことかね」ということなんだろう。僕が聞いてとっさに思い浮かんだ返しは、「あなたは牛丼をいっぺんに10杯も食べるんですか」ということで、ようするにお金の価値ってどこに宿るのかってことで、同じ金額で得られる品物・サービスでその利用価値をはかるのであれば、牛丼は10杯いっぺんに食べなければならないし、すくなくとも10杯いっぺんに頼まなければならないし、一日1杯ずつ食べるというのならそれって貯蓄するのとどう違うのかということになるし、結局混乱したんですが、それは今はいい。でもこうしてあらためて考えてみると話は簡単で、価値観の衝突、というかすれ違いなんですね。なんだけど、そのすれ違いをすれ違いと意識せず、自らの価値観が正しいと暗黙のうちに信じ、そしてそれを牛丼のレトリックで、「俺の方が正しいだろう」とほのめかすような言い方をしたのが気に入らない。ほのめかしは、相手がコードを読み解かないと解けない。そして相手がコードを読み解けるということ、この場合は女子高生との散歩より牛丼のほうが価値が高い、健全だ、という意図を読み解けるということは、その人がそれを理解する素地を持っているということであり、つまり〈女子高生との散歩より牛丼を食べた方が健全だ〉という価値観の萌芽をもっている、良心のかけらをもっている、ということにおおざっぱにいえばなってくるわけであり、これはいやな戦略だなあと思ったのでした。相手におのれの誤りを悟らせるといえば聞こえは悪くないが、自分の手を汚さずに安全な場所からひとを教化するというような態度が男らしくないなと感じて、「じゃああなたは牛丼をいっぺんに10杯食べるんですね!」みたいななんかへんな反論を考案していましたとさ。冷静になって気づく。自分がなにに関心を持っているのか、その場にいながら気づきたいものですね。書いてる内に口調がだんだんですます調になるのはいつものこと。