楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

盗塁集落

朝の電車は混む。何年経ってもこれには慣れない。いや、……慣れない。木曜日は7時半~8時半くらいに電車に乗ってるんですが、混んでて、まあ確かに満員電車ではないし(ある時期まで満員電車に乗って通学してたけど、あれは慣れないというまえに耐えがたい)、上を見て比較するならつり革が確保されてるだけでも空いてると思えとも言えるけど、でも狭いのはいや。息が詰まっちゃう。

そんな困難があって、きっとそんな、暮らしてる環境につきまとう困難は、誰にでもあるはず。そして、ある人が抱えてるある困難は、自分の「混んでる電車に乗らなきゃならない」のと同じようなものかな、とアナロジーで納得したりする。自分の経験を元にして、「それと同じだ」とおもえば飲み込みやすい。でもアナロジーだから、共通する一点を介して、他のもろもろの付随的要素も一緒のものだと仮定するので不確かなんだけど、えーそれで何を言いたいのか忘れた。でも、人に対する共感の底にはアナロジーがあるよねきっと(あんまし夢のない考え方だけど)。よい共感ってのはアナロジーの精度を高めること、とかどうだろう。

用事がまずまず早めに済んだので、帰りにカラオケBOXに寄った。1時間。いつもより楽しく乗れて歌えた気がする。これがどうやら、本の読み方を思い出したのと連動してるっぽい。考えてみれば本を読むというのも、叙述に「乗る」ということだものな。乗るんだけど、与えられるものを鏡のように映し返すんじゃなく、自分をあちら側に浸透させていくというか。自分が陥ってた間違いとは、客観的な内容がテキストや楽曲にあらかじめ備わってて、それをたんに再現することが正しい意味での「読み」であり、「歌うこと」である、というふうに誤解していたのかもしれない、いまいち自覚ないので、仮説だけど。