楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

行く末ピクニック

劣等感と優越感のはざまに生きる日々は過ぎたと思ったし、また実際過ぎ去ったのだが、あの感覚がふと戻ってくることがたまにはある。劣等感というか、なんだろう。でも少なくとも、こんな自分にはなにもない、自分にはなにもない、できることがない、能力や取り柄がない、徳がない、個性がない、なにか決定的なものが欠如しているという感覚だ。べつに、自分はどちらかというと周りから浮いて目立つほうなのかもしれないし、やさしい人に言わせれば充分個性的だということになるのかもしれない。結論はつまり、自分が自分の個性を忘れてしまっているということなのかもしれない。ところで、自分がこの、劣等感に似たなにかを感じるときに、その感じている先は、なにかしらの芸をもっている人だということが気づかれる。その芸とは文章であったり絵であったり漫画であったり、数学だったりプログラミングだったり、演劇だったりした。窓口はなんでもいい。自分を魅力的に見せるわざをもっている人、ということかなと今ふとまとまった。そうすると、自分はその「自分を魅力的に見せるわざ」にまんまとだまされていただけ、と言うことはできる。しかし、だとしても、そのわざを身につけるのはタダではなかったはずだ。その点僕はその努力さえしていない――。ここで、高校生のころ強く感じていたテーマ、怠惰ということに至りつく。当時の僕は自分の怠惰ということがちょっと耐えがたかった。今はもうあきらめたけど。

それで、話は繋がるけど、今日はだらだらしていたのですよね。課されていた簡単なレポートがあったので、それを家でつぶしてしまおうと思っていた。ただ夕食後なんとなく居間に残って、テレビを見ながら家族と何となく言葉を交わしたりして、なんか2時間くらい経っていた。ずるずるだ。そう、ここ数日かな、優柔不断なのだ。迷ってしまうのだ。そして迷いは思考停止に滑り込む。ただえらべなくなって、現状維持の結果になる。あるいはまったく熟慮されていない選択を踏む。帰りにコンビニで揚げ物を買って食べて、物足りないので別のコンビニで湖池屋スコーンを買って駅の構内で食べた。駅の中で一人スナック菓子をむさぼる私、またなにか場違いな、社会という透明なドームから外れたような気がした。ともあれ買い食いを2回も続けてしまうのは、自制がはずれている。だって半年に1回くらいだよこういうの。あるいはまた、駅までの道でなんとなくiPodを装着してみるが、これといって新鮮な気持ちで聞きたいものもなく、でもつけないのが1mmだけこわいので無理やり何かを選んで、でもしっくりこなくて、くるくると流す曲を変える。まあなんか数年前まではこういうのが常態で、今はわりあい腰を落ちつけて、もりあがらないときはもりあがらないまま、それでいいと思えてきたんだけど、ここ数日はだめだわ。別にたいしたことじゃあないんだけど生活って「たいしたことじゃあない」ことをひとつひとついかにていねいにやるかだと思うのよ。なにかに対する焦りなのか。しかしその何かはなんなのかわからない、というか原因らしい原因はないと思う。寒さのせいとかだ。ただ迷ってしまう。迷ってしまう。迷うってのはまわりが見えなくなることなんだよ。

でもごはんはおいしいし、体を動かすのもすこしずつはじめた。頭の回転も悪くない。そして俺はいいかげんシャイすぎる。なにがあったわけではないが。人と話してて思う。