楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

温泉領土

川辺を歩きながら、カメラで植物採集をした。植物の名前を覚えたいとむかしから思っていて、そのひとつのアプローチとして、「植物の写真を撮って集めて、自分で分類を試みる」というのを思いついたわけ。川辺にはえてる草は、いろいろだ。ひとつひとつ写真に収めていると、生物多様性というやつを肌で感じた気になれるほど、確かにふだんは植物のちがいに注目してはいなかった。……確かに、これほどにそれぞれの植物に注意を向けたことははじめてだったのだ。密集して生えてる草を見て、「うっ」と胸を押さえたくなる瞬間がいっときあった。生き物だ。植物ってよく見ているとグロテスクだ。人間や虫や動物がグロテスクなのとおなじ観点で、グロテスク。まわりに透明な環境としてあった植物が、それぞれに僕と同等の生命活動を営んでいることが感じられて、深淵を覗いた、戻れないところに踏み込んでしまった気がした。追いやられて窮屈に生えている草もあるし、いい環境で育ってる草も当然ある。花のあるところには必然的に虫が集まる。あたりまえだけど省略しがちなこと。人間と違って草はみな平等に生えているのだと暗黙裏に想像していたようだし、花はただ目を楽しませるために咲くのだと、知らないうちに決めていたようだ。きっと「動かざるもの」「語らざるもの」としてはじめは植物に惹かれていたはずで、でも今になってみると、植物は動いているし、自己主張もする。それぞれに意志をもったわけのわからない存在なのだ。そういうものから逃げることはできないんだろなって、思った。