楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

キュビズムシャーベット

日記を書こうとしても一日なにがあったか、とびとびにしか思い出せなくて空白をところどころに感じるのでそればかりが嫌ですねえ。老いだったり大人になるだったりするのかもしれませんけど、ルーチンワークに落ち込むというより落とし込みようがない現状で、一日が短いとはべつに感じないし。なにしろ過去じぶんがどう感じていたかなんて再現するの難しいですからね。わかんないですよね。だから日記が手がかりになることもあるんですけど。

朝は9時半まで寝過ごす。先月くらいまでの状況からすればすごくいつのまにか改善した時刻ではあるんですが、しかし起きてみると朝はゆーうつなのな。生きていても意味がない/死にたい、に類するなにごとか、隠蔽され偽装されたそれら、言葉として姿を現さない気分さそれはただの気分さ、気分未満のなにごとかさ。事物がすべて背景にのいて見える。手が目の前のカップをつかんでコーヒー牛乳を飲む、それが実際に起こっているゆえにそれは可能なことでもあったんだけど、背景から浮き出てわいわい騒ぐのではなくて目の前のカップをつかんで飲む動作そのものもあくまでいつまでも背景だ。こういうのはともかくも外に出れば舞台が反転するといまでは確信するようになったので、着替えて、でも出かけないほうが昼食代浮くし……というアナザー選択肢が目に入り、こういう調子よくないときは論理的必然性に従って動きたいので選択肢が複数あって両方にメリットデメリットがあったりすると動けないんですよね。まだ調子わるすぎなかったので家を出ました。カメラ持って。調子よくないときって決めれないので持ち物を積み過ぎたりしちゃうんですが、ニューエクスプレスグルジア語は持たずに済んだ。語学の勉強しながら同時に被写体を探すのが不可能だからだが、そのテードのことも明瞭に意識できないのよね。ことばで考えなきゃ。

ラオスフェスティバルというイベントを見に行きました。出店がいっぱい。ラオスなんだけどタイ料理の店もありました。見るだけ見て雰囲気だけいただいてあとは牛丼でも食べにいくかってな腹づもりだったのですが、意外と500円とかで食べ物が手に入る物価状況だったので、鶏肉のハーブ和え・もち米セットを買って食べました。出店なのでやっぱり少ないけどうまい。コリアンダーうまい。辛い。ひとつ食べたら欲が出てしまって、同じ店でスイカハイボールというものをいただきました。店先にスイカ漬け焼酎が置いてあるのな。手にこぼしたけどべたべたしてなくてすっきりした味でしたよ。

そのあと大学の図書館へ。草履で来たんだけど親指がもう痛くなってた。うー。痛くなる日とならない日があるんだよな。レファレンス室にいって読まなきゃいけないやつを読み進めてたんだけど、ときどき訳出しながら、辞書の用例とかこまかく確認しながら、関係ない調べものに逃げながら、休憩として別の本読んだりしながらやってたら1時間に1ページ弱というあきれた効率をはじき出しました。はい。つかれたって思うのが早い。休日にお勉強するのは自分のやりたいことでもあるし愉しいんだけど、ところどころ意識が遠くに向いて、人恋しさというか人間とコミュニケーションをとりたい気にとらわれていた。とらわれてるあいだは自分がたくさんのことをしゃべれる人間であるかのような、拡張されたキャパシティを感じているものだけど実際はそうはいかないわけだけどやる気があるかどうかとその枠組みの中で自分がどこまでできるかってのは別問題。どっちにとっても別問題。