楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

もずく恐怖

一年近く前に別れた恋人のことをよく思い出す。この頃。仕事で忙しくって、癒やされたいのです。前の彼女がじゃなくって、有り体に言って具体的に誰という標的はなくなんらかの彼女が欲しいのです。おうちでぎゅっとしてくれたり、一緒にどこかに出掛けてくれる……、なんだか、この年(20代も暮れてきた)になってそんなこと言い続けてるのもシャレにならない気がしてきた。にわかに。いや、そんなん、まだ結婚しないのか、孫の顔が見たいという常套句を吐く世間の母親父親の脳裏に巣食うものとおんなじ出来合いの価値観が作り出した意識には違いないんだけど、それだけ世間的な価値観を私自身も内面化しつつあるということだね。しかし何によって? 感染経路はさておき、大学の、あの斜に構えることをよしとする大学生たちの空気が、そのような価値観から身を守ってくれていた(という比喩が適切かは不明だが)とは、言ってよさそうだが。

もっと他のことを書こうと思っていたのだがこのまま終わる。「年相応」なんて観念は理屈で導き出せるものではなく、生きていく上でなんとなく身につける呼吸のようなものなんだろうね。