楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

襟巻き幻想

今年は日記を頑張ろうと思う。「今年は」と入れる必要ないか……そんな決心、数ヶ月経ったら忘れているに決まっているのだから……と思ったものの「○○を頑張ろうと思う」と言うためには「今年は」とか「今日は」とか、なにかしらの時間的スパンを表す表現が必要な気がどうしてもしてしまう。でも自分の心情に正直になるなら、「今年は」なんて嘘はつけない。

とうめんは日記を頑張ろうと思う。

ところで、なぜ日記を頑張ろうなどと言っているかという話なのだけども、そのことを語るには (1) なぜ日記なのか (2) なぜ頑張る必要があるのか の2つのことを検討する必要がある。

まず (1) なぜ日記なのか について。これには「なぜ Twitter ではないのか」「なぜ自分のサイト (elmman.net) ではないのか」の2つの問いに答えることで当初の問いへの答えに代えたい。

なぜ Twitter ではないのかと言えば、140文字では足りないからであり、スレッド機能があるにしても常に140文字で区切りをつける必要がある──ユーザインタフェースがそのように仕向ける──からであり、またリアルタイム性を排したいと考えているからである。裏返して言うと、長めのまとまった文章を書きたい。今の自分に必要なのは深さ、そしてくどさだ。深さとくどさを身に纏うためには、思いついたことを Twitter に即座に流すのではなく、頭の中に溜め込んでおく必要がある。

なぜ自分のサイトではないのかと言えば、たまにブログサービスを使いたくなるから、というのが率直な理由だが、もう少し積極的な理由を出すと、 (a) 文章を書いて発表するために可能な限りハードルは低いほうが良い (b) 今の自分には人の目に触れる状態で語る訓練が必要 あたりが主要なものになると思う。

(a) 文章を書いて発表するために可能な限りハードルは低いほうが良い というのは文字通りの意味で、単純に投稿するまでのキーの打鍵やマウスのクリック数が明らかに(自サイトの更新をするときよりも)少ないはずだというのと、デバイスを問わずに更新できる*1という点が大きい。

(b) 今の自分には人の目に触れる状態で語る訓練が必要 というのも文字通りの意味である。自サイトは精神的引きこもりのためのサイトなのだが(それなのに公開されているというのがおかしいが)、見られることを意識しながら言葉を繰り出していく練習を今はしたい。その背景を説明すると長くなるし説明する心の準備もない。ただ、人に届けるための言葉を削り出す作業を重ねたい。

そういうわけで、可能なら毎日、それが難しければ週末だけでも、何か書くようにしたい。そのために Twitter での投稿は最小限にしたい。具体的には、読書メモと、リツイートと、それから何かを外に向けて言わないと色々な意味でしんどいときに緊急避難的に使う用途を想定している。

本当は身辺雑記的なものを書こうと思っていたのだが、「日記をがんばる!」ということを説明しようとしたら思いのほか長くなってしまったので──私の本領はくどさにあると自認しているのだから、「思いのほか」とは何を今さらなのだけども──、身辺雑記のほうはまた明日以降にする。書くことなかったら前の日の日記とか書くかもしれない。

*1:自サイトはいまだにHTMLを直接アップロードする方式なので、更新するためにはローカルにHTMLファイルがあらかじめ配置されていることが前提となる