楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

約分芸人

朝マックを買いに行った。昨日、0時過ぎごろに仕事が終わって、火照った体を落ち着ける中で、そうだ明日の朝は朝マックを食べよう、と思いついたのだった。

9時40分に目覚ましが鳴って覚醒した。おなかの調子は強い空腹とまでは言えず、まだ眠れそうだったので、どうしようかなどうしようかなと言いながらスマホを眺めていた。「午前10時です」と告げる声がiPadから流れたので、「もう10時か」と思ってふとんから出た。最近は気候が暖かくてふとんから出るハードルが低いので暮らしやすい。

iPadには「時報くん」というアプリを入れていて、XX時00分と30分にその時刻を日本語でしゃべらせることができる。ADHD的な特性なのか、私は時間に対する感覚が鈍いので、iPhoneの文字時計をチラチラ見るだけでは今が何時何分なのか生き生きとした実感をもてないときがある。「時報くん」が現在時刻を定期的に発話してくれることで、今10時になったことを真に迫って知ることができる。

外に出たら父の実家近辺の空気が漂っている心地がした。父の実家──住んでいる人はもういない──は海のそばにある。きのう、私が仕事で苦しんでいるあいだに自宅の周りでは雨が降ったらしく、その水分が空気中に残っているから湿度が海のそばと似ているのだ、そう思った。最近は空気について温度と湿度から理解しようとすることが多い。

午前中から起きて動けたので、今日は活動できる日だなとわかった。活動できる日のあとには活動できない日(強制的に休まされる日)が来るのが最近のトレンドなので、今日のうちに最低限の用事は済ませてしまおうと思った。

話を変える。最近は、手遅れということについてよく考える。仕事で、プロジェクトが遅れに遅れてとことんまで悪くなった状態ではじめて、周りの大人たちが動き出す。そうして、議論に今まで加わってこなかった人たちが、十分な知識もないまま「アドバイス」を口にし出す。そういう光景を見た。なんとかしなきゃという気持ちそれ自体は本物かもしれないが、しかし私は「なぜ今まで何もしてくれなかった」と思う。私が助けを求めなかったからか。プロジェクトが遅れていること自体は1ヶ月以上前から報告し続けていたのにか。違う。もっと早く助けろとは言わない。だけど今更おせっかいを焼いて、かえって進捗のさまたげになるようなふるまいは控えてもらいたい。

もっと早く動けたはずだっただろうか。それに対しても私は絶望的な認識を抱いている。結局、私が感じるのは、まぁなんとかなるだろうの正常性バイアスと、本当に納期が近付いて事態が切迫しないと問題を問題とも認識しない心がまえ──それは呑気さではなく、周囲の誰しもが他人に気をかける余裕がないということなのだと思っている。口だけ番長になるのは口ぐらいしか自由に動かせる器官がないからなのだ。

愚痴になってしまった。言おうとしていたのは、今ごろ素人アドバイスをもらったり、よくわからないスケジュール作成を命じられたりしても、そこでアドバイスをしたりスケジュール作成を命じたりしている人自身においては何らかの仕事をしたことになるのかもしれないが、そして実際に一定程度はものごとを前に進める力になるのかもしれない、その限りにおいて意味のあるおこないなのだが、それ以前に、このプロジェクトはもうだいぶ手遅れになっているよということを知ってほしい。スケジュールからは大幅に遅れたまま突っ走っているし、私たちは異常な残業時間をつけて働くことを続けている。関係者が全員瀕死になってから「手を打つ」ことを、実績と思わないでほしい。

やはり愚痴になってしまう。もうすこし書こうとしたが、あいかわらず愚痴になってしまうし、なんだかうまく書けないのでこの話題はしばらく寝かせておく。言いたかったのは、手遅れの状態に対して何か策を講じることは、その手遅れの状態やそうなってしまった経緯から目を逸らさせる効果を持つことがある、ということだ。自民党のえらいひとが、子育て政策はこの10年が最後のチャンスなどと言っているのも、私は似た印象を受ける。最後のチャンスと言いつつ、今まで「チャンス」を逃し続けてきたことについて彼らは振り返らないのだ。

茂木幹事長「この10年が少子化反転できる最後のチャンス」危機感あらわ