楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

豪傑シャンプー

昼食を買おうと近所のコンビニまで歩いているとき、自分が歩いている地面が平らでないことに気付いた。平らでないことが「見えた」と言うのが正確かもしれない。アップダウンがある。今歩いてきた道はわずかに上り坂になっているし、その先の踏切がある部分は少し盛り上がっている。そして踏切からもう一つ先の踏切へ至る脇道はかなりはっきりと窪んでいる。これらすべては目視で確認できる程度に(測定器具に頼らずとも判る程度に)明らかなことがらである。それを今私は、「気付いた」。

仕事において平穏な日がしばらく続いていて、ようやく疲労状態から回復して、外界のいろいろなことが目に入るようになった──この体験は、そういうことを示しているだろう。しかし、何かに「気付いた」と称するのも少しおかしくて、毎日のように歩くこの道が傾いていることを、実のところ前から私は知っていた。傾いてるな、と言葉にして思うことすらあったかもしれない。にもかかわらず、今日の私の発見は、間違いなく「発見」として語るにふさわしいものだという実感もある。

疲れているときの私は、あの道が坂になっていることを「知っていた」が、坂になっていると「思って」はいなかった。傾きを感覚器官でとらえてはいたが、傾いていることが見えてはいなかった。世の中の道はすべて地図アプリみたいにツルツルしている、そういうことにしていた。

これは一種の自己欺瞞だ。知っていることと思っていることの乖離。そして、〈知っていること〉を〈思っていること〉がオーバーライドできるならば、自己欺瞞とは何かを上書きするという性格を備えていることになる。ある認識を打ち消して別の認識に置き換えるのではなく、ある認識の上に別の認識を覆い被せる。