楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

棒読み闘牛

今日はやろうとしていたことほとんどできなかった。都心に出て調理器具の買い物と、書店で気になる本のチェックと、あとできれば春野菜の天ぷらをどこかで食べられたらと思っていたのだが、どうにも体が動かなかった。かわりに、Twitterであまり更新されないタイムラインを見たり、見たいものもなかなか流れてこなくなったYouTube動画を漁ったり、ワリオランド3を進めたりしていた。景気づけに飲酒をと思い夕食に缶のサワーを開けたら頭が痛くなった。本もあまり読めない。仕事の負荷が減れば頭の働きも戻ってくるかと思ったけど、それだけじゃないみたい。例年、3月~4月は体調を崩している。

ぼちぼち転職のことを考えるのを再開しているが、どうにも不安ばかりが募る。新しい会社でやっていけるだろうか。非の打ち所がない、あらゆる好条件が揃った会社などありそうもない(世の中でおよそ選択の余地があるものについては例外なくそうなのではないだろうか)。今の会社では仕事自体はこなせていたし、ある程度の評価ももらえていたから、他の会社でもやっていけないことはないだろう。私がやっていける会社が世の中でただ一つ今の会社しかないということは、さすがにないだろう。そういうふうに考えることはできるけど、がんらい新しい環境に入っていくのに非常なストレスを感じる性分なので、もうほんと求人サイトを見ているだけでQOLが下がっていく。

私が理想とする会社は、従業員が健康的文化的に暮らしていけることを最優先にしている会社だが、そんなことをアピールしている会社も見当たらない。会社は競争と成長を旨とするもの。これが資本主義社会ってこと?

休日にこんなことしてたら疲れも取れないので、いったん休職か退職かした状態をつくってから転職を考え始めるほうが健康的なのかもしれないな。

「何者にもなれない」なんて言い回しは10年以上前からあって、必ずしも同意するわけではないんだけど、ものごとの重要な面をとらえているなとは思う。システム開発の会社に7~8年ぐらい勤めていてシェルスクリプトも満足に書けないのはいかがなものかと自分で思う。もちろん自分で勉強しなかったからなんだけど。勤務時間内だけで身につくほどプログラミングスキルは浅い世界ではない。でも、返す刀で同じことを問い直したくなる。システム開発に何年も従事しているのに簡単なプログラムさえ書くのに苦労するのは、いかがなものだろうか。この間、とにかく浅く広く、つまみ食いを続けすぎたなと振り返りたくなる。それなりにいろいろなことをなんとなくできるようになったが、そのすべてが吹けば飛ぶようなものに見えてしまって……。とにかく「しのぐ」ことを続けた7~8年間だった。技術者としての誇りはない。

職業生活でもそうなんだけど、私生活でも「何か違うぞ」という感じが強くある。そこでもやはり日々をしのいでいる感じがある。自分が自分の人生を生きられていない。その戸惑いは「自分の強みは何か」という問いにも変形できる。自分のことをもっと知りたい。何に楽しみを見つけて、何に安らぎを感じて、何が許せなくて何が我慢ならないのか。私は生きてきた中で、自分自身を自分自身からも隠蔽してきた。だから年甲斐もなく自分探しと言うことも辞さないだろう。