楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

滑らかな滑り台論法

最近、本屋に行きすぎたかもしれない。生きていると気になる本は日々増えていくもので、その現物を確認するために本屋に行くんだけど、行きすぎて本屋が楽しくなくなった。行きすぎってどのくらいかというと、週に2回ぐらいなんだけど。頻度が問題というよりは、チェックリストを用意してタスクをこなすようにそれを消化していくというスタイルが疲れを呼んでいるのかもしれない。そういう面はきっとある。

自分を楽しませるものを増やしたほうがいい。理由は単純で、楽しみは人が生きていくために必要な栄養素だからだ。わたしは楽しみとそうでないものの区別がときどき難しくなる。いや、つねに区別できていないと言っても言い過ぎではないかもしれない。楽しくてやっていることと、必要だからやっていることが、どっちがどっちだかわからなくなるのだ。マジメだねと、パーソナリティを評価する観点からはコメントできる。

Nintendo Switchでゲームをプレイしているからといって、それは必ずしも楽しみではない。苦しみから意識を逸らすためにやっているときもある。そもそも10年以上ゲームから遠ざかっていたブランクを破ってNintendo Switchを購入した理由は「暇つぶし」だった。

それが楽しみであるかは、何をしているかではなく、どのようにしているかで決まる。本屋も〈ときどき〉行くから楽しいのかもしれないし、ゲームは〈仕事終わりに〉だけやるようにすると喜びが倍増するかもしれない。「どのように」は、心構えの話ではなく、ここでは、それに接するタイミングの話だということになる。