楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

生還1000本ノック

精神科/心療内科に行ってた。発達障害の診断を受けに。自分はADHDの傾向があると思ってたけどドクター曰くむしろASDの特徴に当てはまるとのことだった。

いやぁ、もともとは、ADHD薬物療法を受けて生活が好転する予定だったんだけども、その当てはまずは外れたことになる。まぁ仕方ない。

……この話題について、自分が語りたいことの一口ぶんがとても大きいらしく、いろいろな想念がからまってなかなか出てこない。

ADHDの傾向は薄いということをドクターからは言われたけど、実際問題、ADHDむけのライフハックによって救われているところは多分にあると自覚しているし、だから診断が下りるわけではないにせよ*1、このキーワードが自分の人生と無縁であるということはたぶんないんだと思う。ADHDに関する文献もまだしばらくは本棚に居座り続けるだろう。

この話題について語りにくいのは、なんだかんだ言ってもオンライン上でも正面切って語るのを避けてきたところがあるのもそうだし、とにかくいろいろな〈困りごと〉〈生きづらさ〉が絡まり合っていて、実際のところ自分の中でもまったく整理がついていないことがらであるためだった。

今日わかったのは、状況としては相変わらずだということ。一つずつほぐしていく、一つずつ対処していくしかないんだなと思った。わかるわー。30何年、正面から向き合うことをせずに放置してきたものが一挙に解決するわけがない。その一方で、どういう道筋で可能性を絞り込んでいけばいいかは見えてきた。これまでは、ヘッドライトなしに暗闇を探検しているようなものだった。

ちなみに自分自身ASDの傾向がないと感じているかというとそうではなく、たぶん私と実際に会ったことのある人は、どちらか選べと言われたら私のことをADHDよりはASDと判定するだろうと思う。なので意外ではなかった。ただASDには薬物療法がないのじゃ……。

まぁ、精神医学とか心理療法の本で読んでみたいものはまだまだあるので、当てが外れたのは、自分の問題に然るべき時間をかけて向き合うべきだという啓示と思うことにする。「まだ始まったばかり」なのだろう。

で、それと並行して転職も考えないといけないのだが……。退職を言い出すのもう1年待てば良かったかなぁ、賢い人ならそうしたんだろうなぁと思う。ふだん生活の柄が保守的であるのに、ひとたび動き始めるといっぺんに色々なものを動かそうとしてしまうんだよな。

*1:発達障害の診断が下りるには、それが日常生活に重大な影響を及ぼしていると言える程度に症状が重い必要があるそうだ。その点、確かに、私がADHDの現れとみなしているものは、たとえば就業を困難にしたりするほどのものではなかった。