なにもできない日だった。
東京都知事選に関するイベントの配信を視聴した。面白かった。都知事選関連でこれまで見たものの中では一番面白かったかも。ふだん抑制的にふるまっている二人が、ここぞとばかりにぶっちゃける……わけではなく、あくまで紳士的に立ち回っているんだけども、その中にこそ真の意味での自由がある気がした。もちろんイベントタイトル通りオフレコ発言も多々あったんだけど、別に秘密を共有して仲間意識を醸し出そうというのではなく、たとえばSNSでは不用意に言えないことが言える場もあるという常識的な話の範疇に収まるものだと思う。こうして見ると「ものが言いづらくなった」「ものを言うのに気を遣うようになった」という、今いたるところで言われる実感は、社会のいろいろなセクションが「つながりすぎた」ことが一因なんだろうなあとあらためて見えてくる。
視聴中から呼吸が苦しくて、はあはあ深く息をせずにはいられなかったんだけども、後でよく整理してみるとこれは昨日もらった耳鼻科の薬に併せて摂取しないよう言われていた牛乳を飲んだからではないかと思う。コーヒーを割るための少量ではあったけど。
そういうこともあって何もできなくなった。おまけに外では雷雨がはじまったので、カーテンを閉めきって、何もできないときにすることを夜までしていた。
週末なのにもったいないな。でも振り返ると小さい頃から体調が常にイマイチで、大病をすることはほとんどなかったけど、〈せっかく与えられた時間を棒に振る〉経験は日常茶飯事であったような気もする。学校に通っていた頃はテストや成績書で及第点を取ればなにか真人間として生きられているお墨付きを得られているような気がしたし、就職してからはプライベートに使うべき体力までを仕事に捧げて、まぁ「無理をする」ことで課題をクリアし、「なんとかやっている」という自己評価を保っていた。だから体調不良が前景化することは私の人生でいままであまりなかったのかもしれない。課されていたことはある程度の水準でクリアできていたが、誰にも何も課されなくなったとき、「やりたいことができない」ことがはじめて深刻なこととして浮かび上がってきたのかもしれない。