退勤前に休暇申請を出してぬるっと夏休みに入った。直前まで決められてなくて、わたしは他人の都合に合わせて休みをとっている。大なり小なり会社員になってからはだいたいそういう生き方をしているけど、月一の川柳講座については「動かない」予定として運用することができた。まあこれは自分の都合で日付変えられないからね。そういう予定を増やしていったら逆説的に自分の人生に対する主体性が増したりするのだろうか。
予約していた皮膚科に行って、薬をもらってきた。塗り薬が完全に枯渇したタイミングで補充できたので、良かったけど、このタイミングでコロナにかかったりして薬もらいそびれたらと思うと恐ろしい。死にはしないけどQOLが暴落することは目に見えている。
電車に乗って買い物に行ってきた。本の買いすぎを我慢するのが上手くなった気がする。6月に『川柳EXPO』の掲載作品感想書きマラソンをした前後でこのあたりの潮目が変わった気がしてて、自分が一定時間あたりに処理できる情報の上限を意識させられたということなのかもしれない。あとは自分は足枷がなければ楽しみをむさぼってしまうことは経験から嫌というほど知っているので、あるいはスキーマ療法で言う「制約の欠如」のスキーマ領域に自分は関係がある気がしていて、制限の中で楽しむことというか、時間もお金もメリハリをつけて消費しようというか、明日死ぬならまだしも人生が一日一日と繰り返していくことを前提とするなら「メリハリ」がもたらす良さというか、適度なゆらぎというか、うまく言えないけどそこに生きることの秘訣がある気がしてるんですよ。育ちの良い人は小さい頃から知っているのかもしれないけど。