日記のタイトルはいつも本文を書いたあとに決めているんだけど、今日は書く前にタイトルを入れてみた。それはタイトルの質にも本文の質にもおそらくかかわらない事柄であって──かかわったとして、それがもたらすのはほんの微細な違いであって、同じやり方で作ったものを50個ぐらいずつ並べて比較してみてようやく何か見えた気がするという性質のものだと思う──、ただ私が日記を書くという活動において今日はそのほうがやりやすい気がするというそれだけの理由がある。やりやすいというか、そうでないと書けない、今日はそうするしかないという致し方なさがある。別になにか不本意なことを選ばされるというのでなくたって、それ以外にどうしようもないためにそうしている、そういう選べなさが日常には無数にあるはずだ。私にはある。ただ、結果的に「できている」ために問題にされていないというだけだ。
部屋の掃除をした。発達障害はゴミ屋敷になりやすいみたいな話を聞くこともあって、へへーんと思っていたけど、気付いたら床には紙類やらビニール袋やら意味のまとまりをなしていない物体が散乱していたし、まとめただけで出していないゴミ袋はあるわ、ゴミ箱からゴミが溢れて周囲に散乱しているわ(これは実はほとんどいつもそうなっています)、空きペットボトルと空き缶も所定の置き場所をあふれて調理スペースに侵食していたし……こうやって見ると我が家の衛生管理は〈境界の維持〉ができていないなと気付く。ゴミ箱の内と外の境界をゴミが侵犯しても意に介さない。なんか対人関係と似ているなー。他人が自分の領域に入ってくると、なすすべなく自分の領域が他人に乗っ取られてしまうところがあって(抽象的)、そしてそれは自分にとってよくない結果を招くことが多く、だからなるべく他人を私的領域に招き入れないようにしている。一番いいやり方ではもちろんないことは知っているが、現状の自分の資質から考えて「マシな方法」だと思っている。
まあ文章でこうして書いているほど割り切っているわけがないんだけど。最近は、書き言葉で何かを書くときはなるべく歯切れ良くというか、断定調で書くようにしていて、それは果てしなく歯切れの悪い生身の自分の精神に対して、それに代わって現実の枠付けをしてあげるためなのかもしれない。確かなことなど何もないが、何かを決めずには人間は生きていけないので。