楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

ターミナルは部屋の外

さむい。昼は(暖房を焚いていたとはいえ)半袖短パンで部屋の掃除をして、いや〜暖冬だわ、と、「暖冬」という言葉を自分のレパートリーにようやく装填したところだったのに。

土日は最近そうなんだけど、15時ぐらいにようやく昼食を摂って、そのあと自転車で出かけた。1週間ぐらい乗らなかったらもう道路上での立ち居振る舞いがよく分からなくなってて、何がどうとかではないんだけど全体的に夢の中を泳いでいるような感じがあった。まあでも自転車で走行しているときはいつもそうかも。信号や路面標示などの道路交通法に定められた存在者だけがリアルで、いつもどこかシミュレーターを操作しているかのような感覚を伴っているような。(安全には配慮して走行しています)

週末だから買い物をいろいろしようという頭があったんだけど、結果的には「下見」に終始した形となった。その店がどんな場所なのか、何が置いてあるのかざっくり把握する作業。一週間ぐらい世の中との連絡が切れると、完全に切断された状態になって、いろいろな場所を見に行ったり、動き回ったりしてその連絡を回復してからでないと、本格的な関わりができるようにならない。リモート勤務になる前はむしろそれが常態だったなあ。週に一回、世の中と関わりが持てて、でもいつも「下見」で終わってて、せめて何か「成果」を残したいという思いで分厚い技術書を買ったりしてた。

最近、自分の人生の可能性を広げたいと思って躊躇なく色々なもの(自転車とか遠出とか)にお金を使っていたら、メイン口座の残高が底をついてきて、気を抜くとクレジットカードが引き落としエラーになっててもおかしくない段階の一歩手前まで来てた。メイン口座は自由に使っていいお金が入っているもので、ほかに貯蓄口座と、投信とかをやる用のネット銀行の口座があるので即破産とはならないんだけど、でもまあクレカの引き落としできないだけでもまずいし、破産するかしないかという話が出ている時点で警戒すべき状態なのは間違いないのだった。

もうじき失職する見込みなのにね。何の話かといえば、このように「お金がない」という意識が自分の中に芽生えている中で、書店にきて「今日買うべき本」を厳選した結果、880円だけ使って出てきた。ここしばらくは10000円いくのも珍しくなかったのだが(月の書籍代が降りた時点でまとめ買いするため)。とはいえ、本当に必要なものが何であるかじっくり検討するのはそれはそれで楽しい。

そもそも、絞りに絞ったというわけでもなく、図書館にあるものは図書館でまず手に取ってみる、という方針を立てた結果でしかこれはなかったりする。考えてみると「どういう素性のものかわからないにもかかわらず、今日この場で買っておくべき本」って、そうそうないはずなのだ。って言ったら違うって言われるかな。そういう人は本との付き合い方が私とかなり違うんだと思う。まあ、詩歌の本とかでいつ絶版になってもおかしくない、みたいなものは積極的に確保するし、大学の代数学の授業で毎年教科書指定になっている本みたいなのはしかるべき時が来るまで待つ、みたいな話だ(そうやってると結局買い逃したりするんだけど)。

しかしわたしは書店で長時間(1時間ぐらい?)本を物色していると、疲れてしまって「もう勘弁してくれ」という気持ちになっていることが多い。たまにではなく高頻度である。それよりは手元にある本を読む時間を増やしたほうがいいんだろうなぁ。

(約1350文字/60分)