楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

些細なポールダンス

緊張は何回経験しても慣れないねぇ。胸がざわざわして落ち着かないあの嫌な感じが毎回来る。たぶん、慣れてしまわないように人間が造られてるんだろうけど。

読みたい本を本棚から出して、部屋の中に置いておく、という行動をよくするんだけど、それをする程度に気持ちに余裕が出てきた。余裕かましているとまた失敗するんだから気を抜かずに……などと月並みな言葉しか継げないのが少し悔しい。

本は、出しておいて読むとはかぎらないんだけど、空気にさらしておくというか。準備ができた (ready) 状態にしておく。

なにかの理由を訊くとき、その答えとして世間の人が期待しているのは〈論証〉ではなく〈ストーリー〉なのだ、ということに気付いた。たとえば製造業を志望している人がいるとして、「なぜ製造業なのですか」という問いに対して答えるときに、隙間を埋めなくてもいいということ。この人が製造業以外を志す理由候補を全部挙げていって潰していく作業を実演する必要はない。人々は決定論的世界観で生きてはいない、と言い換えてもいいかもしれない。より色づけて言うなら、目の前の人が「製造業に携わる宿命」を負っていることを不変の真理として納得したい、と多くの人は思っているわけではない(私も別に思わない)。

「なぜ製造業なのですか」は、「なぜ、あなたは今ここにいるのですか」という問いにおそらく変換できる。それは、文脈を与えよ、この場になじむような文脈を自らで与えよ、という要請だ。言い換えると、いま〈よくわからないもの〉として立ち現れているあなたという人間を、〈ここにいてもおかしくない存在〉として位置づけよ、そうすることでわれわれの警戒心をほどいてみせよ、ということでもあるんだと思う。その手段として〈ストーリーを語る〉という行為がある。

ストーリーの語り方って学校で教わらなかったけど、多くの人は生育過程の中で自然と身につけているんだろうか。