楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

地滑りも照り焼き

寒い日。朝、マンションから駅までを歩きながら音楽をランダム再生したらレキシ「KATOKU」が流れて、聞いていたら歌詞の意味が深く入り込んできて、歩きながら普通にボロボロ泣いてしまった。「歩きながら泣いている人」になってた。

誰かと誰かが 話し合って決めたこと
馬にのった姿が似てきたら

「キミに家督を譲りたい 今日は家督を譲りたい」とサビに続くんですが、「誰かと誰かが」はつまり当事者不在の話し合いだということだし、「似てきたら」は遺伝という本人にはどうすることもできないものを表していて、そういう家制度の不自由さみたいなものが読み取れるとともに、それは告発としてではなくあくまでポップスで、ポップスって不思議ですね。だから泣けるんですよね。入り込む余地がある。

仕事中に、笑いをこらえるのに苦しむぐらい笑いやすくなっていることがあって、本当に日常的に舌を噛んでこらえたりしてるんですけど、考えてみると最初に就職した会社でもあったんだよな。ある特定の人といると、その人の一挙一動で、それこそ箸が転んだように笑ってしまうことがあって、時間の経過につれてなくなったんだけど。この会社がある程度リラックスできる場所として自分の中でなじんできている兆候なのかと思う。

何が面白いのかと思うけど、面白いとかじゃなくて、くすぐられているのに近い。その人の声の振動数で聞こえてくると笑ってしまうとかそんな感じ。人の存在がくすぐったい。パターンに固着している。笑いがあった場所をもう一回見るとまた笑ってしまうみたいな。青いものを見て笑うと、青いものがあるところが全部笑いのトリガーになる。

自分でもしんどいし周囲からもやや様子がおかしい人として見られてるんじゃないかと思う。ちょっと基準線から外れた精神状態にあるのかもねえ。笑いって不随意的で、痙攣なんかと並べて語られることがある気がするけど、私もしゃっくりみたいなものだという気がする。笑い、その入口には知的なものが立っていることが多くて、だからお笑いが芸事として成り立つんだと思うけど、私は入口から立ち入った奴がいつまでも出てこないみたいな状態なのでそういうのとももはや関係がなくなっている。