なんか自分とつながってたりつながってなかったりする人間たちのことをごちゃごちゃ考えていて始業後しばらく仕事が進まなかった。何を考えていたのかもあまり思い出せないし、思い出せない程度にかなりとりとめのない内容だったのだろう。つながるって不思議で、私などがいまさら言い出すまでもないんだろうけど、会ったりしゃべったり(音でも文字でも)したことがなくてもつながっている人はいる。
仕事帰りもなんかそわそわして、イヤホンをつけて音楽を聴こうとしたものの体が音楽に乗ってゆかなくて、これも違うあれも違うと何曲も飛ばした。矢野顕子(「David」)に辿り着いて落ち着いたものの。
そういえば20代の頃はこの傾向がもっと激しくて、そもそも音楽を落ち着いて聴ける状態というのがそこそこ貴重だったような。当時からポップスが好きなのも、あるいはいま「わかりやすい」タイプの川柳が好きなのも、体が受容モードに入れるときがむしろ特殊で、そういう体に対しても無理なく入ってくるのがポップというものだからなんじゃないのか。
なんか最近また色々考えるんですよね。これまでの人生で私の頭の中に入ってきたいろんな視覚や音像や知識や、考え中のいろいろなことのことを思って、ここで死ぬのはもったいないなと思ったり。べつに死を間近に予感してるというわけではないのに。ないけど、いつ死んでもいいのかもなと思いながら生き続けてきたかもしれない。いままで。生きたり死んだりすることをもったいない/なくない という対立で扱うのはおかしい気もするが。でもそういう近付き方しかできないのかもしれない。
前の会社、という言い方はアンフェアだが(会社が悪いわけでは必ずしもないから)、私が最初に勤めた会社で、でもやっぱり我慢できないようなこととか辛いこととか怖いことがたくさんあったよなあと、通勤電車の中で振り返ることがあった。特に怖い思いはこれからなるべくしたくない。
なんか、思春期か? とセルフツッコミをする。30代も後半なのにそんなにいろいろに思い悩むのか。遅れてきた反抗期みたいなやつかもしれない。知らない。静かに本でも読んでいたいんだけどこういう苦悩がなくなると本を読む意味も同時になくなるのかもしれないですね。
そういえば書き忘れていたけど EPO の「う、ふ、ふ、ふ、」の歌詞すごくないですか。
毎日だれかに 見られることが ビタミンになる
の言葉の正しさ。三大栄養素ではなく微量栄養素なのだ。
ひとつやふたつの あやまちだったら プロフィールになる
これも。通俗的な励まし言葉になりそうなところを回避している。事実を言っているんじゃなくて、価値観を提示しているんだけど、その価値観の彫琢が行き届いている(だから「把握の正確さ」ではなく「言葉の正しさ」と言いたかった)。「う、ふ、ふ、ふ、」の EPO みたいなことを言っている人はいまもむかしもたくさんいるけど、この曲が出て (1983年) 長い時間が経ったにもかかわらず、 EPO と同じ水準でものを見て・言えている人は依然としてすくない。