楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

巻き尺鶏卵

散歩の話。散歩に出るとき、いつも違った道を歩く。といっても近所を歩くわけだから、道の数なんて高がしれてる。けれど今でも通ったことのない道がまだあるのも事実。そういう細い道を見つけては歩く。小さな道、少数の誰かが生活で使っている通路、そこに入ったときに開ける見慣れない景色が好きだ。ひとのプライベートに入り込みたいという好奇心に動かされているのかもしれない。散歩をしていて、結局はなにかを発見することが楽しい。いや、べつになにもみつからなくてもいい。その心構えはだいじだ。でも楽しいのは、やはり歩いていて何かを見つけること、何かに気づくことだ。古い看板とか、猫とか、道路標示のあせ具合とか。日曜日のたばこ屋を通りがかりに覗いたら老夫婦がたばこをふかしていたとか。

この道がこうつながるのかと感心することがある。自分がどこにいるか把握するのが下手だ。すべての道は直角に曲がっていて、すべての道と道は平行に延びている、少なくとも近似的にはそうだと思い込んでいる。右に曲がって左に曲がって、また左に曲がれば元の道に戻れると信じている。だがここは京都や札幌ではない。いま歩いている道から20度傾きをつけて支流に乗れば、あっというまに本流を見失ってしまう。大きなランドマークはあてにならない。距離感があてにならない。それでも欠落だらけの脳内地図情報を駆使して、だいたいの現在位置はどこか、この先どこに出るかの見当を付けておく。深い路地が続き、興奮しつつ歩みを進め、とうとう抜けたと思ったらよく知っている通り慣れた場所で、しばし立ち尽くす。まったく信じられなかった。