楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

人騒がせシート

気付けば4日間日記を書いていなかった。昨日今日ぐらいのことは思い出せるけどそれより前はどうだろうか。

最近気温が下がって、木曜日・金曜日あたりは非常に過ごしやすく、一年に計2週間ぐらいしかないのではないかという文句の付けどころのない快適な日だった気がする。オフィスで仕事をしていたのでそれを実感する機会も限られていたわけだけど。金曜日の仕事上がりに、前々から気になっていた屋台のコーヒー屋に立ち寄って、コーヒーを一杯引っ掛けて(コーヒーには言わないか)帰った。睡眠が4時間台だった日がまたあって、そんな体調のときにカフェインを入れるのは明らかによくないんだけど。その店は人入りが少ないようで、帰り際にまたお願いしますと言われたけれどそう言われるとかえって行きづらく(個体としてバッチリ認識されたということなので)、悩ましい。

土曜日は、以前川柳のイベントで配布したフリーペーパー(川柳が60句載っている紙)をネットで配布する機運が高まったので、その作業にほとんどの時間を費やした。ネットプリントのサービス3つにサインインして、PDFファイルを登録して、実店舗に足を運びファイルにアクセスできるかを一応確認して。実際に使う人がいるかは分からないけどこれも経験ですからね。あとWebからダウンロードできるようにもしたかったので(というかこっちがメインか)、サーバにアップロードがてら、借りているVPSのメンテナンスもいろいろした。

あとは書店で本の品定めを頑張りすぎて力尽きる。

土・日・月と、台風が接近しておりずっと雨。

日曜日は、夜から川柳の友達と会合。ごはんを食べたりお酒を飲んだりミニ句会に巻き込まれたり、終電を逃しかけたりした。厳密には最後だけタクシーを使った。テレビドラマみたいな雨が降る中で駅前ロータリーの列に並ぶ経験は、自分の人生には起こらないタイプのものだろうなぁと思っていたけど、まだまだ新しいことに出会いますね。

月曜日(祝日)は、川柳句集の批評会がオンラインであり、朝から夕方までだいたい張り付いていた。とはいえ私の場合、オンラインイベントはラジオみたいに消費していることが多いので、あと雨がひどくてあまり元気もなかったので、PCのスピーカーから音を出したまま適宜寝そべったりして聞いていた。まあ不真面目なんだけど、画面の前に居続ける努力にエネルギーを割くよりもこのほうが結果として頭に入る量は多い場合もある。著者に質問できるタイムもあったんだけど前述の通り体調がすぐれなかったのと、あと私は全般的に人に何かを質問したいという欲があまりない気がする。別によいことではなくて、なんか聞いても教えてもらえないとうっすら思っているというか。人に聞くことで何かを解決するという経験をしてこなさすぎた。

写真金属

眠りが全然ままならなくて。昨日の夜も、休日じゃないんだからという勢いで夜更かしをしており、睡眠時間が4時間弱になった。極端に寝ていない日って体が緊急対応モードになるのか、普段よりも元気だったりするけど、頭の回転が良いわけではない。覚醒しているだけ。本当に寝不足が蓄積していて、文章も思うままに書けません。調子がいいときは将棋で言うと三手先ぐらいまでは読めている状態をキープしながら書けたりするんだけど、いや将棋は全く不得手なので三手先がどのくらい先なのか知らないけど。クラスの中では将棋が強いほうの小学生、ぐらいのスキル感だろうか。

まあそれはいいんだけど。本当にここ何週間か、特に事件もないのに自分の体をいじめすぎているので、今日はなんとか早く眠ろうと思って、自炊する元気もないし楽をしようと近所の麺屋さんに入ったんだけど(最近「ラーメン屋」というフレーズにそぐわない中華麺料理店が増えていませんか? 前からか?)、狭いしうるさいし隣の人の柔軟剤は香るしで着席早々帰りたくなりました。この店狭い&うるさいのは知ってたし、前も来て後悔したのを覚えてるんだけど、入りやすい&注文するものにあまり迷わずに済む店というのを通勤ルート上で他に知らなくて、何度も入っては後悔している。頼りにできる店、というのを開拓する必要に迫られているのではないか。実は急務なのではないか。騒がしくなくて、人との物理的距離が確保できている店。

汁なし担々麺に追い飯がついてくるはずだったんだけど、追い飯が来なくて、ついに食べ終わってしまい、丼の底の具をちびちびと食べてそれも尽き、水を飲み終わっても来なかったので諦めて席を立った。別に、店員を呼び止めて聞けばよかったんだけど、その元気もなくて。席を立ったら店員が気付いたようで、口頭でお詫びされた。残念そうな顔をしていた。私自身、店員がそれに気付くことを心のどこかで望んでいた。それは否定できない。だからある意味で「思惑通り」になったんだけど、帰り道を歩きながら冷静に振り返ると、私の心もそのとき泣いていたのだ。お腹いっぱいになっていようが、店員から追い飯を提供されて、それを平らげて帰るほうがよかった。

これといったさわやかなオチはない。自分が自分らしく動くことのできる空間をそのときそのときで確保したい。テイクアウトも活用するか……。

国辱ティップス

数学の勉強はまだ継続している。選んだ教科書が、たぶん、大学の数学科で授業書として使われるタイプのやつで(といって別の諸「タイプ」を見渡せた上でこの言葉を使っているわけではないが)、誰かの指導なしで使うには少々厳しい気がしてきた。それならばと指導を受けるのも一案だけど、私自身がいつやる気を無くすかわからないからな……。練習問題が解けないのはそこで扱われている概念に私が十分に親しんでいないからで、なるほど高等数学とは4年間みっちりと取り組まないと本当の意味では身につかないものなんだな、と、とりあえずその認識に至れただけでも収穫だとは思う。数学科ではないが、私が大学で身につけた知識や態度も、学問としてものになったのかと自問するとそうとは思えないんだけど、これもやはり「ちょっと手を伸ばせば届くようなもの」では決してないのだろう。そう認めて大事にすることにしよう。

練習問題(とはこの教科書には書いていない、「問」だ)は自分なりに取り組んでわからなければ答えを見る、という方針でやっていたけど、悩む前に答えを見てもいいことにした。本格的にやるなら数学科の学生と同じだけの時間と労力をかけないとはじまらない。そうではなく、より観光モードにシフトしてみようということ。

夏休みに作ったキーボードの半自作配列をなんだかんだ使い続けている。でもまだ一ヶ月ぐらいか。そろそろ衝動的に変更したくなる頃なのかな。わかんないけど。使ってるわりにはタイピングが速くならないので、一つ一つの単語を打ち込むときの手の動きを体に覚えさせるつもりでもう少し意識的にやろうと思う。一つの配列でタイピングが速くなるきっかけって、仕事で急かされて集中力が異様に上がっているタイミングだったりもするので、急かされることが少ない今の仕事場は新配列タイピングの上達には向かないのかもしれない。そんなことで職場選ばないけど。

あまり上達しないけど使い続けられているという事実の方に今日は注目したくて、これは「速く入力できる」ことが自分の中で最重要ではないということなんだと思う。前にちょろっと書いたみたいに「納得」がむしろ重要なのかなと。新JIS配列だと「を」が表面、「わ」が裏面 (shift面) にあって、これは「を」のほうが文章の中での出現頻度が高いからだと思う。でも半自作配列では「わ」を表に置いている。より詳しく言うと「わ」を二回打鍵すると「を」が出るようにしている*1。なぜそうしたかというと、単語の入力途中に同じキーの二回打鍵が発生するとリズムのなめらかさが阻害されるように感じるからだ。「岩波新書」を打つときにkoo:[dudt ではなく ko:[dudt と打ててほしい。現代日本語では「を」はこの一字で助詞として現れるのみなので、二回打つことになってもリズムを乱しにくい。とかなんとか。

ただ速く打てることによる「思考をそのまま文字に変換できる」という状態には速さ以上の価値があるので、もう少し上手に使えるようになりたい。いまミスタイプもかなり多いし。

*1:なので「味わわせる」みたいなフレーズが入力しにくいという欠陥がある

デシンマシマシ

最近ずーっとずっと雨だからか心身の状態が悪い。心身ととりあえず書くけど、心だけではない、さりとて身だけでもない、という視点から言っているだけであって、正確に書くと本当はもっと違う表現になるのではないかという気がする。星の巡りが悪い、とか、案外そのあたりが事実を掴んでいるのかもしれない。元気がないし悪いことばかりしている。他人にも自分にも。

自炊をしなかったのも心の荒みに拍車をかけた。悪い状態にあるからこそ自炊をしようという気持ちになれなかったのかもしれないが。本当に良いこととは何かを判断する能力がなくなっている。

気温が下がったのも影響しているだろう。夏の間は保湿をする必要がほとんどなかったが、気温の低下にあわせてクラスチェンジするように、放っておくと滅びる体になってきた。謎の花粉症様症状というのか、目がかゆくて鼻水がなんとなく出るという事態にも何度かなっている。

休日は自分のためのいろいろな準備をする一番のチャンスだけど、そういう気にもなれず、 PC の前でちまちまと作業をすることはかろうじてできたので新しいソフトの導入などをやっていた。あとは土日でそれぞれ一回ずつは自転車に乗った。

救済されたいという気持ちっていくつになってもなくならんなあ。陰謀論的思考みたいに、気をつけるだけで防ぎきれるものでもないんだろうな。正しい正しくないじゃなくて、健康不健康の問題だから。なるべく健康的にやるしかないし、そういう心の状態に陥っているときは健康など知ったことかという気持ちになるものだから、結局ある程度は諦めるしかないというか、ああいま自分はそういう状態になっているんだなと思って(自分が)自分に接するしかない。

こういうときに一番必要なのは自分の中の思い込みを解くことだけど、それはセルフサービスでできることではなくて、それを解いてくれるのも他者だったりするんだなあ。それもなにか施しを受けて解けるのではなくて、他人と関わるなかでひとりでに解ける。

識者に次ぐ識者

昨日は急に走り出したりして大変だった気がする(?)。駅まで歩く中で、歩くスピードが前の人より速かったのでそのまま追い抜かそうとして横に並んだところで、脇から別の人がさらに追い上げてきて3人並んだ形になり、追い抜かされてはいけないという(自動車教習所で注意されるような)無意味な人間心理と、追い抜こうとしているのに追い抜かされようとしているという矛盾した(してない)事実を脳内で処理できずに陥った混乱と、脅かされているのではないかという変な妄想じみた警戒が協力しあって私の体は走り出し、止まらなくなってしまいそのまま駅まで100mぐらい走った。事故に遭わなかった&起こさなかったから良かったけど明らかに正常でない人の行動だった。

異様に疲れていたと思う。おそらく投薬のおかげで行動はできるけど、元気だから行動できるんじゃなくて元気じゃないのに行動できてしまっているために何かが行きすぎてしまっているような。体調面でもこれは副作用ではと思う点があるので、お薬は減らしてもらおうと思う。

今日あったこと・考えたことで書くべきことが2つはあった気がするが忘れた。帰りに図書館に寄った。月曜日あたりにも同じ館に一度来たと思う。閉館間際で、書架を眺めていたらほどなく蛍の光的なものが流れ出した。急かされているという意識と音楽がうるさいのとで資料探索はそれ以上できず、そのまま出て、しかし何も借りずに帰るのも……と月曜日に目をつけておいた資料をさっと借りて出た。

夕食を自宅で用意すると時間がかかるから、と今週は外食で済ませているんだけど、毎度のことながら外食だと一週間ともたない。行きたい店がそんなにあるわけじゃないし、あっても混んでたりして入りにくいし、何かと理由をつけて私は店に入らないという結論を選びたがる。公共空間の形と私の形が合わない。あとチェーン店で飯を食っていると近くにデオドラントな匂いの人間が現れて飯の時間を台無しにするのでこの時期は基本テイクアウトにしたほうが自分にとっていいのだと思う。匂いが食べ物にマッチしないという次元の話じゃなくて、そういう匂いが入ってくると食べているものを食べ物として認識できなくなる。

匂い問題には夏の間じゅう困らされていて、匂いを名指せるようになればこの不快感というか異物感というか、やり場のない怒りを少しは飼い馴らせるのではないかと「実習計画」をいろいろ考えたりはしているんだけど、企画するだけしてなかなか実行に至らないまま秋を迎えてしまいそうだ。

昇り龍はWC

SNSで流れてくる川柳を読んでも何も感じないなあという時間が続いていて、昼ぐらいまで。もともと数年前ぐらいまではそういう傾向が強かったし、そういう身にも何か訴えてくる句にときどき出会えるのが川柳のいいところであり対外的には強みだとも思う──その性質によって自分の場合はかろうじて川柳に「出会う」ことができた──ので、慌てることではなかった。川柳のことだけじゃなくて全般的に、何かを思う主体としての自己が起動していないようなところがあって、食べ物の味を感受したりはできるけどそれに〈感想〉をもつかというともたない、というようなところがあった。緑色のものが緑色であることはわかるけど、それを美しいと思ったりなぜ緑色なのか興味を持ったりするという可能性に乏しかった。自分を取り巻く景色は凪のように動きがなくて、水面が揺れるように環境が自分に訴えかけてくるコンディションとのギャップを思った。

昼休みに散歩しながら街路樹や地面の雑草の葉の形を観察していたら世界に対する関心を少し回復できた気がする。葉の形には類型があって、有限数ある類型のどれかに必ず当てはまる(基本的には)という取り組みやすさがある──有り体に言うと「答え」がある、から、頭の働かせ方のストレッチになったかもしれない。あとはカフェインの摂取有無もなんだかんだ効いている気がする。これも認めることにしよう。

「回復」なんて言っちゃったけど、別にその状態が不快だったわけではなく、ただ外界に興味を持たない状態というのは人間社会で生きていくために不便なので。

日に30分だけ数学の勉強をすることにしていて、30分では「いまからいいところなのに」というところで締め切ってしまうので本当は2時間ぐらい用意したいところなんだけど、数学だけやって暮らすわけにもいかないので。あと、まとめてやるより細切れでも毎日やるほうが身につきそうな気がした。数学、べつに生活上の何の必要もないんだけど、高等数学の勉強のひとつもせずになにが人生か、というふうに私は思ったりもするので(他の人の人生は知らんよ)、そういうのは大事にしたい。自分が大事に思うことを大事にするのはそれ自体価値があることなんですよ。