なにもできない一日だった。一回休み。
新 JIS 配列を少しでも指になじませたく、少しでも多くの文章を書きたいんだけど、書けることが特にない。
最近、川柳すら読み続けることが難しくて、……とりあえず「て」を置いて言葉をつなごうとしてみたけどその後に言うべきことが特にない。
川柳のこと、私は自分が生み出す川柳のことを自分の人生の副産物だと表現したことがあるし、川柳が好きというよりそれが言葉や詩や公共といったものを考える窓口になるからそのそばにいるんだと書いたこともある。
最近、川柳や川柳関係の書き物を読んだり、自分で書いたりすることは、要するに「間をもたせる手段」なのではないかと思った。会話で「沈黙が耐えられない」という人がたまらずしゃべりだすように、あるいはエスカレーターに乗った人がスマホをいじりだすように、その種の適度な刺激を与えてくれるのが自分の場合〈川柳〉とそのまわりにある環境だったのではないか。「なにかがある」を作り出す装置として私は〈川柳〉をもてた。
何かが「面白い」「興味がある」「関心がある」みたいな動機を真に持てたことが私にはないのかもしれない。より正確には、かりそめ持てたとしても持続しない。まあ、それでもなお残り続けるものを燃料として使い続ける、そう考えるべきなのかもしれない。
毎日お腹痛いしずっと心身調子悪いけどごはんだけはそこそこおいしく食べられている。これは救いだ。
衣装ケースを買い足して、置き場に困っていた衣類をそこに全部入れたけど、容量に余裕がかなりあったしそもそも今後着るかと考えたらかなり怪しいアイテムばかりだったので、この一箱は別のものを収納するのに使ってもいいかもしれない。よく見たらタンスにも半分ぐらい空きスペースがある。全然使い切れていない。衣類のことを普段考えないので、自分がどんなアイテムを持っているかが頭に入っていない。
そんなふうに言うと「着るものに頓着しない」と捉えられそうだけど、そして実際そう表現していい側面が(かなり)あるけど、好き嫌いはあるなと最近自覚するようになった。生地の質感が許せないとか、首周りの感じがうっとうしくてたまらないとか、そういう理由で買った服を着られないということがある。触覚面の快不快以外でも、去年転職したての頃に着ていたシャツを着たらめっちゃテンション下がって……ということもあった。いろいろなものに守られながら生きていきたい。