楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

割り箸呑気

文章をちゃんと読んでないことが多いんですよね。部分部分だけ拾って意味を読み取ろうとしてしまう。

↑いまのかたまりであれば、冒頭の「文章を」まで読んで「多い」に飛んで、あとざーっと飛ばして最後あたりの「意味を読み取ろう」あたりに着地する。そんで、「あれっ……どういう意味かな」とひとりで目を伏せる。

要するに読めてないんですよね。内容が頭に入ってない。しかも読めてないのをその場で自覚してる。だけどなかなかやめられない。

速く読みたいんですよね。水を注いだコップが置いてあったらパッと取って一気に飲んで次の水に移りたい。情報が氾濫する現代社会では、すばやく処理するスキルが求められてるといわれます。誰もが情報を発信できるようになった今、インターネットには重要な情報もあれば退屈な情報もある。

どうやら自分の見てるものが基本的に「退屈な情報」に属すると勘違いしているようだ。あるいは「これ、退屈な情報なのでは…?」という疑いを、あまりにも早くかけてしまう。(何を見るかは自分で取捨選択しているのに、ふしぎな結果だ。) 僕は急いでいる。退屈な情報にかまけて、重要な情報(古典文献とか…)に取り組む時間が喰われてはこまる。そういう意識は、正直に申して、あるな。

そういいつつもツイッターとか見ちゃうわけだ。そのうえ古典文献に取り組む時間が確保できてるわけでもない。行動のフレームを変える(ネットを見るのをやめる)のが難しいなら、せいぜいツイッターを真剣に読んだほうがいくぶん有意義だ。そうすればなにがほんとうにくだらなくて、なにが意味あるものなのか、わかるだろうし。