楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

よろしく豪雨

体質上、床が汚れやすくて(役目を終えた皮膚のかけらがよく落ちるのです)、そんでもって汚れた床を見てさらにストレスを感じ症状が悪化する質(たち)なので、クイックルワイパーを常に使えるよう装備しておいて、帰宅したらささっと拭き掃除をする作戦に出たのだけど。これは続かないんだよなぁ。1分もかからないんだけどね。1分たりとも余計な動きをしたくないという心になってしまうんだよなぁ。でも1分と思えば……。

ルンバは、床にものを置きすぎてて、導入のためには部屋のプチリフォームが必要と見込まれるので、あまり本格的に考えてない。あとプリンタ欲しいな。

百合の二枚刃

前の人と復縁したいとは思わないんだよな。いや、思うか思わないかと言うと、思わないではないんだけど、やめておけという理性の声がする。

理想の恋人は、世の中には(こんな私にも)いるんだろうけども。行動面でも心理面でもあまり外に出ない、用もなく街をぶらついたりしない人間なので、見つかる見込みはないでしょうな。

もずく恐怖

一年近く前に別れた恋人のことをよく思い出す。この頃。仕事で忙しくって、癒やされたいのです。前の彼女がじゃなくって、有り体に言って具体的に誰という標的はなくなんらかの彼女が欲しいのです。おうちでぎゅっとしてくれたり、一緒にどこかに出掛けてくれる……、なんだか、この年(20代も暮れてきた)になってそんなこと言い続けてるのもシャレにならない気がしてきた。にわかに。いや、そんなん、まだ結婚しないのか、孫の顔が見たいという常套句を吐く世間の母親父親の脳裏に巣食うものとおんなじ出来合いの価値観が作り出した意識には違いないんだけど、それだけ世間的な価値観を私自身も内面化しつつあるということだね。しかし何によって? 感染経路はさておき、大学の、あの斜に構えることをよしとする大学生たちの空気が、そのような価値観から身を守ってくれていた(という比喩が適切かは不明だが)とは、言ってよさそうだが。

もっと他のことを書こうと思っていたのだがこのまま終わる。「年相応」なんて観念は理屈で導き出せるものではなく、生きていく上でなんとなく身につける呼吸のようなものなんだろうね。

軍閥と沐浴

帰れない日々はまだ続く。

休日になったり、早く帰れたりして、つかのま「生活」に戻ってみると、「野菜を切るときに手応えがある」こととか、「ものを置くと音がする」ことなんかに新鮮な驚きを覚えたりする。

最近働きすぎなんだけど、世界を美しいと感じる心はかえって活性化しているとさえ言えるぐらいで、足元に生える苔やら、コップに注ぐ水やら、不意に目に入る道路標識やらがいちいち麗しく映る。10月、気候が良いという点もあるのでしょうね。それと、仕事内容が技術寄りで、新しいものに触れられているという点にも救われているのだろう。

忙しさに関係あるのかわからない、むしろ季節柄と言うべきのような気がするが、1年近く前に別れた恋人のことを最近ほんとうによく思い出す。答えは簡単で、さみしい。癒やされたい。彼女が欲しい……。しかし、あの人の前では、結局素直にはなりきれなかったのだよな。二人での時間をもちたいという思いと、一人でいる時間は捨てられないという思いとで、ぐるぐるする。

さほど遅くない時刻に目覚めて、けれどせっかくの休日なのに寝倒さないのはもったいないと布団から出ずにいたら、次に目覚めたのは午後だった。昼ごはんのことを考える中で、あるラーメン屋のことを思い出した。1.5駅くらい先の、街道沿いにあるラーメン屋で、一人暮らしを始めて間もなく見つけたが、生活圏からは微妙に外れている(そして特別心惹かれるメニューがあるわけでもない)という理由で足を運ぶ機会がなかった。ただ「いつか行ってみよう」という漠然とした興味が頭の片隅にずっとあって、それを何かの拍子で今日になって思い出したのだ。最低限の部屋の片付けと身支度をしたあと、自転車の空気を入れて(何ヶ月も乗っていなかったからタイヤがゆるゆるだった)、たどり着いてみたら、果たして4月から休業していた。なんとなくそういう予感はあって、だから下調べもせずにただ「見に行く」ようなつもりで来たのかもしれない。

昼食は市立中央図書館に併設のカフェでカレーライスを食べた。