楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

コンソメサイドバー

そういえば最近は「死にたい」と思う頻度がぐっと減ったなあと気付いた。私にとっての「死にたい」は、「これから起こる問題に自分は対処することができない」という無力感を伴っているとも気付いた。つまり端的な逃避の意味でその言葉を思っている。

何かが起こっても自分はそれに対処することができる、という意識が私はベースラインとして希薄である。「まあなんとかなるでしょ」という無鉄砲さをカンフル剤的に使用することはあるけれど、それは自信に基づくものではない。その代わりに、ひとたび何かが起これば自分はそれに巻き込まれ翻弄されるだけなのだ、という他力本願が自分の中にはびこっている。有意義な考え方には見えないが、簡単に取り去れるものではなく、一つずつほぐしていく必要があるだろう。