楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

秘伝ごっこ

一日の終わりに、その日あったことや達成したこと・体調のことなどをiPhoneのボイスログに吹き込むことを最近のルーチンにしている。理由は──習慣としてなじんでくると、それを始めた理由はやがて忘れてしまう──、しゃべる練習をしたいということだった気がする。このあたりは自分の中でもあいまいである。理由が確固としてあるのではなく、「何か面白そう」が先にあり、理由はそれを後押しする。

しゃべる文体を身に付けたい。文体というのは書き言葉に対して言う言葉だから「しゃべる文体」は未熟な表現だろうが、今はこれがしっくりくる表現なのでこのままいく。ボイスログに吹き込む日々の中で、自分がそこで話しているというよりはこの日記に書くような文章を口から出力しようとしていることに気付いた。話しながら、あれも言わなきゃこれも言わなきゃと不定形の〈内容〉が湧き出てくる。それらに形を与えながら適切な順序に整え、しかもリアルタイムにそれを口から出しながらするのは至難の業だ。私の頭脳はその課題についていけない。そもそもしゃべるってそういうことじゃない気がする。

そういうことじゃない気がする。しかし、しゃべることがどういうものであるか、積極的な言葉で言うことができない。私はしゃべるということを知らないのか? 知らなかったのか? 今まで。確かに、会話らしきものに私が参加していると言える今までの場面を振り返ってみると、私がしていたのは他の出来事に対するリアクションか、「説明」のようなものであったかもしれない。外国語学習で言うと、リーディングはできるがリスニングはできない、みたいな状態だ。私は口頭でのコミュニケーションの一部しか習得していなかったらしい。