楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

プール一杯のシール

仕事を終えるなり地域の図書館へ弾丸ツアーで予約資料を回収しに行った。行き20分、滞在5分、コンビニで夕飯調達5分、帰り20分ぐらいのスケジュール。弾丸になったのは21時から聴きたいラジオ番組があったからだ。ところで、べつに予約資料を取りに行くのが今日でなければならないわけではなかった。取り置き期限が迫っていたわけでもないし、本を開くのが1日2日遅れたところで何か取り返しのつかないことが起こるわけでもない。なんだけど限られた時間内に予定をギュッと詰めて行動するのがある意味で好きみたいだ。もしくはそういう仕方でしか行動できない。「早く着いちゃったからどこかで時間を潰して」ではなくギリギリに着こうとする。

無事時間通りに帰宅でき、目当てのラジオ番組を聴きながら夕食を摂っていたのだが、どうしてか食べながらスマホに手が伸びてTwitterやら何やらを繰る手が止まらない。ラジオは半分ぐらいしか耳に入っていない。私は視覚優位なのかもしれない。あるいは落ち着きがなくて何かを手でいじらずにはいられないのか。ラジオは好きだけど実は、人の話を聴き続けるのは得意ではない。ならば本を読むのはどうかと言えば、それも集中は30分ぐらいしか続かない。かと思えば、読書で疲れた息抜きにTwitterという文字メディアを見たりしているのでよくわからない。単純に飽きっぽいのかもしれない。ADHD的な特性として。

ラジオ番組やPodcastのようなある程度の時間的幅のある音声コンテンツを楽しむには、歩きながらイヤホンで聴くのがよいと経験上わかっている。適度に手持ち無沙汰が晴れて、それでいてコンテンツに注意を向けるリソースも残っているような状態。しかし食事中はそれなりに手を動かしているし、味や匂いという情報も入ってきているはずなのだが、さらにTwitterを開いて刺激を増やそうとしてしまうのはどういうことなのか。スマホTwitterの中毒性について正面から考えてみた方がいいということか。