楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

みちのく三連符

ここ数日はなにかと気分が沈みやすいですね。人生に爽やかさがない。わりと大学受験浪人生ぐらいのころから付きまとうあの感覚、商品のパッケージなんかに描かれる羽目を外して楽しんでいるイメージ、商品の使用者を特別な存在として高めるイメージ、一口で言えば〈贅沢〉のイメージ、それを受け取って私は気持ちが0になる。なにもかもすでに終わっているかのような気持ちになる。自分が消えずにここにいることはほんとうは不思議なことなのだということをあたりまえのこととして知っているような、救いようのない暗い気持ちになる。それがなんなのか掴めるようで掴めない15年間ぐらいだったけど、前の日記に書いた「資格がない」という通底意識がそれを生み出しているとやはり考えるのが適当なのだと思った。エンタイトルしない。自分は贅沢するに値しない存在だという声が聞こえる。

とか言いながら風呂上がりにアイス食べてるんですけどね。気持ちはすごい暗いけど「あー、また例のやつだ」みたいな感じで捉え方は呑気です。

原因はまぁ分かったんだけど、この感覚そのものには名前がついていない気がする。辞書にはない。「死にたい」ということばが動詞の連用形+助動詞の形でなく単独で形容詞として登録されるならば、そこに私の気持ちをあずけてもいいとは思う。「いとをかし」に自分の気持ちをあずける程度に。

なんか仕事のことでも「あー、○○しなきゃ」「その前に△△を済ませておく必要があるのか」「それ□□さんに聞いておかないと」みたいなのがぐるぐる旋回していて、疲れたので考えるのをやめてみた。ぐるぐる悩んでることはだいたい手癖でもできる、つまり考えなくてもできることだったりはする。

10年ぐらい前の私なら「考えるのをやめる」という選択肢はかたくなに取らなかっただろうと思うが、それは考えることが人間にできることのすべてだと思っていたからで、つまり今はそうでもないということだ。私たちは考えることをときどきやめながらも考え続けることができる。