昼にそば屋で「唐揚げ丼」を頼んだら、唐揚げを卵とじしたものが白米の上に乗っている料理が出てきた。なるほど……。カツ丼や親子丼の唐揚げ版だ。唐揚げ丼というと私は唐揚げの上に甘辛いタレとマヨネーズがかかっているようなもの(さらに温玉が乗っていれば上等)を想像していたので、これは不意打ちだった。でも「そば屋の唐揚げ丼」と言われたら一発で受け入れると思う。
自転車用品を買いに行くためにコミュニティバスに乗り込んだ。発着5分前ぐらいに並んだらもう座れなかった。バスで立ちはつらい。進むにも止まるにも前向きあるいは後向きにかかる力が電車とは段違いで、しかもコミュニティバスは停留所が多いので頻繁に動いたり止まったりするのだ。しかも、ふだんバスは楽しんで乗れるんだけど今日はなぜかどうにも退屈に感じてしまって、車酔いになるかならないかの瀬戸際でTwitterのタイムラインを見たり見なかったりして過ごした。バスは結構遠回りもするし時間的にも無駄遣い感があって、この殺人的な暑さがなければ歩いて行った方がまだましかもしれなかった。そうでないにしても、これを経験した後だったら、汗だくになりながら自転車で行く選択をすると思う。
バス愚痴がすごい。途中からは座れたけど揺れがひどくて「耐える」という体勢は変わらなかった。
というか最近? 先月あたりから連続更新している中でネガティブなことしか書いていない気がしますね。なにかいいことを探す。自転車に乗るようになってから心身の健康は総じてよい状態をつくれているように思う。体を動かすという以上に、「思い切り動かす」というのが重要らしい。なんかむかしプールに通おうとしていた頃に似たようなことに気付いたことがあるな、と思って過去の日記を掘り起こした。2016年7月18日。自分用メモ。
散歩やカラオケよりも体を大きく使う、ある程度の「おもいっきりさ」が必要なんだなと思った。体力を消費するだけではなく、体のいろんな部分を「使う」ということ。
あと、道路交通法に則って車道を走行することが、なんか社会の一員になっている感じというか、自動車に追い抜いてもらうときの無言の意思疎通とか、ここはむしろ歩道を使わせてもらったほうがいいと判断するときの瞬間的な頭の働きというよりは「体が考えている」感じとか、そういうことのいちいちが刺激になる。それは徒歩で行くよりも危険と隣り合わせだということでもあるんだけど。