そういえば「会計時にお金が足りなくて下ろしに行く」ということを人生初めてしたかもしれない。先週のこと。皮膚科で。いままでこうした事態を私はとても恐れていて、それはルールの外側にある事態だからだった。お金を下ろすために患者は一度外に出なければならない。そのあと客が店へと無事戻ってくる保証はない。食い逃げならぬ受診逃げをしないとも限らない。なら荷物を置いていけば、それを取りに戻る必要があるから患者が戻ってくることを保証できるのではないか。いや、それでもダミーの荷物を用意していたらやはり「受診逃げ」ができてしまう。
……というようなことを以前は頻繁に考えていて、いま自分で書き出していても「いやいや……」という気がしてくるほど私の心配は「過剰」なのだった。一般的な会計の手続きのルールにはないが、そこまで来たら刑法という別のルールの守備範囲になるだろう。そこまでして私が確保したかったのは、いかにして「善良さ」とか「信用」みたいな曖昧(なのかどうか)なものに訴えずに、自分がお金を下ろして戻ってくることが確実であると相手方にわかってもらうかということであり、そうしてそんなすべなど本当はないからいちいち心配していたのだ。お金を忘れたらもう終わりだ、と言葉にはしないがそう思っていた。
実際その場面になったら体は勝手に動くし、普通にかばんを持って近くのATMに行き、お金を下ろして戻ってきて、それで何も問題ないのだった。
お金を払わないといけないシチュエーションで払えないとなったときに、どうなるかわからなすぎて「最悪、奴隷にされる」みたいな極端な想定をしてしまっていた。ふしがある。昔に読んだフィクションの影響があるのかもしれない。それこそ奴隷なんかにしたらそっちが刑法の対象だが。この日記を書いていてこの話題にはじめて「刑法」という言葉が関係あることに気付いて、わたしの心がいつも法の支配の及ばない場所に生きていることを知る。小さい頃からそうだ。考えてみると学校をはじめとする子供の生きる現実ってそういう場所ではなかっただろうか。
昨日は、都内に出て文房具というかノート類を見ていた。スケジュール帳の紙が尽きかけていたので。知っている範囲で一番充実している店を3件覗いたのに、自分の思う要件を満たすノートは見つからなくて、これはキーボードを探したときと同じ現象だな。理想を追求するならキーボードと同じくノートも自作するしかないのか。毎度思うけど、これだけの品数があるのにぴったりくるものが一つも見つからないのは不思議。
わたしが念頭に置いていた要件は次のようなものでした。
- 耐久性がある。毎日持ち歩いたときに壊れない。
- 立ったまま書ける。
- 開いたまま置くことができる。
- 書き込むスペースに余裕がある。
- 罫線が目にうるさくない。
- 安っぽくない。
こうして条件だけ並べてみると一致するものはありそうな気がするんだけどね。