楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

折り紙つきビンタ

行きそびれていた皮膚科へ。激混みだった前回と比べると明らかに空いていたにもかかわらず、前回とそれほど変わらない時間待たされた気がする。とにかく薬が手に入ったのでまた生き延びられる。

近所のラーメン屋はいつも並んでいるので入ったことがなかったんだけど、今日は並んで入ってみることにした。並び中、スマホで見るものももうなかったので本を読もうとしたら、細かく詰まった字を太陽の光のもとで読むのが難しくて、文章が入っている本は無理だったけど歌集の文字の大きさと行間の広さなら読めた。最近、歌集を読むことに執着している気がする。句集と比べるとあきらかに歌集のことを主題的に考えている頻度が高い。短歌ってなにかと気になる存在なんですよ。放っとけないというか。藤本玲未『オーロラのお針子』をちびちび読んでいて、この歌集はなじみがいいというか、歌の真意とかはわからないにせよ、わからないながらも読んでいける、言葉を体に入れていける、という具合に接触できている。歌に拒まれている感じがしないというか。

歓迎されているか拒まれているか、というのを私は詩歌に接するとき以外も、なんなら四六時中気にしているかもしれない。気にしすぎて、誰もそんなこと言ってないのに拒まれたような気になってその場を去ることもよくある。面倒臭い奴だ、というツッコミは自分ではもうしないでおく。

昼過ぎから、自分のホームページ(他に言い方ないんだっけ? 個人サイト?)のメンテナンス作業をする。このサイトはさくらの VPSFreeBSD 上で動いてたんだけど、ネット上に情報が多い Linux に変えようかと思って。そうしたほうが、今後自サーバでいろいろするときに良かろうと思って。でも近年検索汚染がひどくて、ググっても何か自動生成したようなページか「技術者1年目です!」みたいな人が書いた記事が引っかかるかみたいな感じなので、アテンションの低い FreeBSD のほうが今やネット上の情報の確かさは上なのかもとか書いてて思ったけどまあそんなに変わらないかもしれませんね。

大きく苦労することなく、 3 時間ぐらいでコンバートが完了した。でも休日にというか自宅でこういう作業やると緊張感がなくて、常時頭が働かない状態で目と手だけが動いているという、仕事をするにはおよそ向かないような状態で作業していた。

夜にバスに乗って出かけた。自宅から一番近い大型書店のある街へ、バス一本で行けることが分かった。大型書店で本を物色する。最近こんな過ごし方ばかりしているけど、本当に自分にとって必要なことを見極めてしている行動とは言えない。全体重をかけてもたれかかることのできるような「いい文章」を求めて、岩波文庫の緑色のところを物色する。大江健三郎が自分にとってそうかもしれないと思うが、しかしランダムに取り出して読むには小説は都合が悪いな。もう少し考えてみることにする。というか「全体重」というリクエストが重すぎる、全幅の信頼をおける書き手なんてどこにもいないのだと理性ではわかるんだけど、全体重をかけて何かにもたれかかりたい。

『知れば知るほど面白い暦の謎』を買う。暦のこと私は何も知らない。カレンダーを見て今が何月何日か読み上げることができるが、それが〈カレンダーに書いてあることを読み上げる〉以上の行為であるために何が必要か。カレンダーは結果であって、カレンダーがどうやって作られているかを知りたい。

杉浦光夫『解析入門』を買う。『手を動かしてまなぶ微分積分』で繰り返し参照されているので。「手を動かして」本はたぶんいい本なんだけど、読んでると厳密な部分を知りたくなってくる。そもそも私は数学の厳密性に惹かれてたんだった。『解析入門』は全部読むつもりはなくて、最初100ページぐらいに基礎的な話が固まっていそうなので、そこの知見を補えたらいいなという期待で手にしている。この本、大学生の頃に(無謀にも独習できるつもりで)買って、案の定ついていけなくて最近手放したんだけど、そんなに時間をおかず買い直すことになった。手放す決断をするまで、「コレいらないわ」と言えるようになるぐらい本を自分に近づけるのに時間がかかったということなのかもしれない。

なんかうっかり 1700 字以上も書いてた。すみません。終わります。