岸田総理の答弁を聞く。
政治家、特に与党政治家、特に内閣構成員は詭弁──言い逃れ、はぐらかし、論点ずらし──の使い手日本代表と言ってもいいと思う。それぐらい、言葉を骨抜きにする実践を日常的に彼らは行なっている。そんな彼らの詭弁を味わおうというコーナーです。(今作った)
該当箇所は、次のPodcastの4:47から。書き起こしは私によるもので(国会会議録まだ出てなかった)、句読点類の追加や言い直し・余計な単語の削除などの編集を施している──要するに、当人の口から出たままの言葉を記録しているわけではないという意味だ。書き起こしの常識がわからないので一応断り書きを入れた次第なんだけど、多分この程度のことはどこでもやっているだろうと思う。
https://open.spotify.com/episode/5PypWFGNkfcEU29Intc8Go?si=914ebf6e7dfa433a
質問者は長妻昭議員。文脈は、子育て支援に乗り出す政府に対して、自民党が野党時代に繰り広げた所業──自民党議員が民主党の子供手当てを攻撃して「愚か者」などとヤジを飛ばした*1など──を紹介し、現行不一致を問うといったもの。
引用は岸田総理の発言です。下線は筆者(私)。
ご指摘の子ども手当をめぐりましては、大変激しいやりとりが行われた──その通りだと思います。その行動、節度あるものであったかどうかということについては、我々改めて振り返らなければならないと思いますが、議論の中身ということについてはしっかり議論を行っていく──こうした前向きな姿勢はこれからも大事にしていきたいと考えます。
思いつくままにポイントを挙げてみる。
- 「愚か者」発言に対して、この岸田発言の直前で長妻氏は「罵詈雑言」と表現している。これに対し、岸田氏は「大変激しいやりとり」「節度あるものであったかどうか」と言い直している。「罵詈雑言」は発言者の悪意とか怒りの感情といったものを背景にした表現だけど、岸田氏の言い直しでは「激しい」「節度」のように、単に度合いが甚だしいことを意味している程度の表現に脱色されている。丸川氏が意図を持って当の発言をなしたものとして描写するというよりは、なにか黄色い線の外側にうっかり出ていました、危ない危ない、と〈過失〉のようなものとして描いている印象を受ける*2。
- 「議論の中身」という言葉を使うことで、「中身」に注意を促すとともに「中身」の優位を強調し*3、議場でそれが〈どのように〉言われたかという側面──長妻議員が強調したいであろう側面──を切り離そうとしている。
- そして、切り離しを行うおのれの態度を「前向きな姿勢」として好意的に自己評価し、解釈例を自ら提示することで自分の発言がどう受け取られるべきかを制御しようとしている。
書いてたらけっこうな分量になってしまった。あとはさらっといきたい。
今申し上げたように、議論は大事であったと思います。ただその議論を行う際の態度発言等において節度を超えていたのではないか──こういったご指摘については謙虚に受け止め、反省すべきものは反省しなければならないと思います。
ここは下線を引いた部分がすべてで、
- 「ご指摘については謙虚に受け止め」は、よく聞くと「指摘」が正しいことを認めているわけではないのがポイント。受け止めているだけなので、聞くだけ聞いて忘れることもできる。「受け止めましたがあなたの指摘は当たらないと思う」などと続けることが論理的に可能であるということ。
- 「反省すべきものは反省しなければならない」は論理形式としては条件文になっていて、パラフレーズすると「反省すべきものがもしあれば、それについては反省しなければならない」すなわち反省すべきものがあるかどうかには言及していない。「反省すべきものは反省しなければならないが、反省すべきものは別になかった」と続けられるということ。もちろん、そんな受け答えをしたら失礼に決まってるんですが。それを皆まで言わずに寸止めするところに無責任答弁の妙があるのかもしれない。
特にまとめとかはなしです。おわり。