楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

無職のハンカチーフ

一日が終わってしまう。一日の締めくくり方がわからないので日記を書く。締めくくり方がわからない以前に、締めくくるべきではないと主張する小さな自分がいる。一日が終わってしまうことの不条理を糾弾している。だからこの日記も手探りだ。どうしたらいいかわからないから書いている。

書きたいことが手元にあるわけでもないしきれいな文章が頭から出てくるわけがないので、ここからも思いついたままに書くことにする。最近現代川柳にハマりかけていて句集を買い集めたりしている。知らなかった版元を知る機会になってそれも楽しい。川柳は(どうしても比較される)短歌よりも俳句よりもマーケットが小さいので、新品で手に入る作品集の数が少ないし、そもそも作品集を編んだり商業出版に乗せたりしようという雰囲気もどちらかというと希薄なのだそうだ、そういう話を読んだ。

〈次に語る言葉〉が脳裏にあり、よそ見をして目線を戻すとそれはなくなっている。何を言おうとしていたかを少しのはずみで忘れる。読んでいるときと同じだ。一文を読むとき、後半の主節にきているときには前半の従属節に何が書いてあったかは忘却の彼方に消えている。彼方ということは、無になったわけではなく、頑張ってたぐり寄せれば取り戻せたりはする。あくまで「やればできる」という話で、奥の手のようなものである。

川柳は自分で作ることもしていて、ある場所でそれを教わっている。私も一つのことに集中しない性格なので、そして本来的に怠惰なので、その講座の何週間か前にならないと腰を起こさないのだが、先日の木曜あたりだったかやたらと川柳のことばかり考えて寝ても覚めてもみたいな状態になっていたので自分で自分が面白かった。熱中している*1

大学では哲学を専攻していたが、大学に入る前はむしろ文学に関心があった。そのことを最近よく意識する。文体や語りに興味を持っていた。振り返れば哲学でも言葉の問題への関心がいつも伏流のように続いていたし、流れは一貫していたとも言える(翻って、「物語」には関心が持てないままである)。これからは文学ともよりを戻していきたいと思う。

*1:こうした身体になれる機会があるのは、振り返るに他には数学をしているときだ。あと頻度は少ないがプログラムを作ろうとしているとき。